「やらなければならないことが分かってるのに手が付けられない」
ADHDは「先延ばし」をしている時にうつ状態になる。意欲が低下して、不安が強く気分が不安定となり、時には希死念慮も出てくる。楽しいはずのこともまったく楽しめない。特徴的なのは、「居留守」が見られることだ。
この「先延ばし」は自己突っ込みと関係している。ADHDは合理的で、自分にも人にも厳しい、「言っていることとやっていることが違う」ことなどには激しく突っ込む。その分自分自身にも厳しい。
「必要なことは分かっているのに取り掛かれない自分を許せない」「何で自分がこんな不合理なことをしているか?」「他人が不合理、不条理をしている時には突っ込むのに自分は何だ?」等。
私が診療していたケースでは、「夫の負債があることには気付いていたが確認することを先延ばししていた」「自分自身が自己破産するしかないことの先延ばし」「論文を書いたらうつが治った」「定年後の経済的な見通しをはっきり考えることの先延ばし」などいろいろあった。
このいずれも、実際の展開で追い詰められ、問題自体をクリアして、みんなうつ状態から立ち直って行った。先延ばしを実行してしまうと、うそのように劇的に明るく回復する。
この「先延ばし」のときに、パキシルを処方されたケースがあった。その結果は、「死にたくなった」というものだった。
私が考える病態機序は以下のとおりだ。
「もともと先延ばしがうつの原因だった」。
「先延ばしによるうつ状態は、考え続けることがあまりにもストレスが大きいので、脳が合目的的に機能を落として考え続けることを回避するような意味があった(と想像する)」。
「パキシルでうつ状態が回復し、特に認知が回復した」。
「そのため自己突込みがさらに激しくなり、必然的に死にたくなった」 というものだ。
抗うつ薬をどんなに調整しても治らない難治性のうつ状態、かえって悪化するようなケース、いわゆる「非定型」うつ病などの場合に、当然考慮するべき鑑別診断のひとつに、「ADHDの先延ばし」を考えるべきであると私は思う。
大切な決断をしないといけないのに、
まだ日があるからとズルズル延ばしして、
そのうち考え疲れてどうでもよくなり、
時間切れで、現状維持の選択肢しか残らなくなる。
朝起きがその際たるもの。
朝、起きねばと思いつつ、
もう少しもう少しとぐずぐずしていて、
何度も葛藤繰り返しているうち疲れはてて眠ってしまう。
意に反して起きて動き出しても、
疲れが残ってなのか、
意に反して起きたからか、
その日一日ぼんやりどんより不調。
先延ばしは自分にどれだけネガティブな現実を運んでくるか、
頭では、もう充分分かっていて、シュミレーションまでできるのに、
やっぱり先延ばし。
今回の選択はどうなるのか?
期限は4日後・・・・。
追加
ちなみに、
私は鬱と言われ15年。
最初の1年、抗うつ剤を飲むと動けなくなり寝たきりでした。
薬を飲まなくなると、最低生活は自立できるようになりました。
先生が書いてらっしゃるとおりの軌跡をたどりました。
YANBARU先生、
私の相方は、合理的強迫的ジャイアン的な部分を併せ持つ依存型ジャイアンだと思います。この場合は、抗うつ剤はどのような働きを見せる、見せたのでしょうか?
相方では、薬の種類や量は増えているようですが、20年来の睡眠障害は良くならないようです。先延ばししているのは、依存対象の変更だと思いますが。
ベースが依存型では、抗うつ剤は??
目の前にある問題があまりにも大きいから。というか、(解決しないと大変なことになる)という重要なことに限って、先延ばししてしまいます。
毎日、布団を被って、電話にも出ず、宅配さえ受け取らず、トイレと布団を行き来するだけ。
一日中ウトウト悪夢にうなされ、寝ても、夢で自分を責め、覚めても、夢なのか現実なのか分からない朦朧とした意識で、自分に厳しい突っ込みを入れる。
当時飲んでいた薬は何だったか忘れたけど、飲んだら、異常に焦りと不安が一杯になって、苦しくて、『死んでしまいたい』と思い、大量服薬とリストカットを45回は繰り返したと思います。
今では、『何でそんなことしたのか?』というより『そんなことをした』ことさえ、忘れてしまった…。
たまに、手首の傷が痒くて、自分で、『何の傷?』と思ってしまいます。
問題に取り掛かれば、すぐに楽になれるのに、大きくても、小さくても、先延ばししてしまいます。
脳がフリーズして、冬眠するみたいです。
コンサータを飲む様になってからは、大事なことがある時や嫌いな家事をしないといけない日は、コンサータを飲むと、自分の脳味噌が、コンピュータみたいになります。
分刻みで自分がやるべきことの段取りが出来て、ロボットみたいに自分が動いて、こなしているだけです。ただ難点は、身体がついていけなくなって、擦り切れて倒れ込むまで、ストップがきかないことです。
翌日は、指の関節まで痛くて、身体中筋肉痛で寝込んでしまいます。
でも、溜まった先延ばしを解決して、気分は爽快で、夢も見ないでグッスリ眠れます。
先延ばしによってさらに苦しくなると言うのは何度も経験しています。
試験勉強を始めなくてはいけないにも関わらず、できない。
練習しなくてはいけないにも関わらず、できない。
調査しなくてはいけないにも関わらず、できない。
今でも何かしら理由を見つけて、先延ばしをしようとしますが、なるべく実行しようとつとめています。それ自体が少々エネルギーのいることなのですが。それと戦い続けないといけないのが、この特性の性かと。
今でも、前の職場で周りがおっかなびっくりにしか私を見られなかった(と思っていた)時を思い出します。
自分を追いつめて、追いつめて、私がハイになって働きだしたときを“まともになった、普通になった状態”として待っているため、私が燃え尽きないようにペース調整することは、怠けに映り、通院し出してからは抑うつ状態のスタートと見られ、むかついて距離を置かれる。
その空気を察して、ごめんなさいごめんなさい!と自分を叱咤して残業を始めて自罰を始めても、顔が引きつっているため大げさなアピールに見えて距離を置かれる。
その後、急いで脳を使った反動が来て真っ白になる。
皆が普通の顔色で普通にこなしている仕事を普通の結果を出しながら普通に皆と同じくらい無理してできなければ、要するに反抗と思われても仕方のない場所でした。
会話の言外の意味を大量に読み取って先回りをしなければならなかったため、今でも年2~3回は仕事が詰まると頭がおかしくなります。会話を言葉通りに受け取ったり進めたりできなくなって、付いていきたい会話でも、ただでさえ遅いのに付いていけなくなり置いて行かれます。
パキシルなんて論外ですね。
私が置いてけぼりにした仕事を誰が了解して引き受けるのでしょう。
周りは薬を飲んだら私が普通になってテキパキと遅れた仕事を取り戻すことを待っているのです。
その誤解を取り除く作業を誰もしてくれない上、薬は私の思考も止め、口も封じようとしたのです。
忘れません。
私も朝起きが大変
練習しなきゃ
あれしなきゃ
これしなきゃ
etc
全部逃避して寝たおすこともしばしば
そうすると
居留守
も使います
しかーし
一大決心して先延ばししていたことを片付けると
とってもすっきり
普通の人は
朝起きること
やらねばならぬことをやること
に対してあまり決心がいらず適当にやってしまうのだろうと思います
私は考えすぎなのでしょう
>「必要なことは分かっているのに取り掛かれない自分を許せない」「何で自分がこんな不合理なことをしているか?」「他人が不合理、不条理をしている時には突っ込むのに自分は何だ?」等。
YANBARU先生の分析は素晴らしいです。
私も、日々この感情と戦っています。
仕事の中で、『記録書き』というのが嫌いで、どうしても常に先延ばしにしてしまい、どんどん溜まっていきます。
先延ばししている自分に、自己突っ込みをしまくって、自分を苦しめている。
休日は、もっと最悪です。
溜めた仕事にも手をつけず、日ごろ手を抜いている家事全般にも取り掛かれず・・・
やるべきことが、どんどん増えていく。
そして、どんどん追い詰められていく自分から幽体離脱した自分が、他人事のように自分を見ている。
この不思議な現象から現実の世界に戻るには、とり合えず何か1つずつやってみることです。
この際、優先順位を付けていたら、全く前には進めません。
今週は、何ができるか分からないけれど、起きたら何かを始めよう。
先延ばしをしないという自信はないけれど、何か1つはやろう!!
びっくりです。
何がしかの発達障害があると思われる父とそのお嫁さんが
1年以上前から鬱で、両方入院してました。
父など一時は体重が40kgを切ったりして、
全く良くなる気配がなかったんです。
ところが、金銭問題を娘息子が一緒にどうにかしていくと申し出て
色々相談を始めたところ、みるみる回復し始めました。
これまで知らなかった父の金銭感覚の問題も色々露見して驚きです。
(70を過ぎても、憎んでる死にそうな実母から小遣いをもらったり金を借りたりして買い物をする等)
まるっきり
お嫁さん「夫の負債があることには気付いていたが確認することを先延ばししていた」
父さん「自分自身が自己破産するしかないことの先延ばし」
です。
よくあるケースなんですかね?
先延ばしの傾向は本当に強いです。何か自分の生活を縛るものが無くなってからは(朝の授業など学校という規律)、本当に難しかったです。
が、自分のパートナーの後押しもあって、朝、水泳に行くことにしました。朝10時前に行くと170円ほど安いのです。周りに宣言してしまったのでいまさらやめることもできず、(一種の強迫観念的な後押しもあって)、結果、朝ベッドからすっと起きられるようになりました。血流がよくなるのか、スポーツによるドーパミン分泌効果なのか?前のように一日中ぼうっとすることもなくなりました。
まだまだ人並みにできないことは多いのですが、パートナーに見張ってもらう、厳しく批判してもらうことによる、自分の成長を感じます。でも、普通の人はそんなことしなくても自分で普通にこなせるわけで、恥ずかしい限りだとは思っていますが、怠け者でいるよりはましであり、少しでも自分の中の規律をものにしていきたいです。理解をもって厳しく接してくれるパートナーに感謝しています。
>「やらなければならないことが分かってるのに
私にとっては責任のある書き物仕事ですね。
大きな一仕事がもうすぐ片づくのですが、上司に合格をもらい白黒つくまで書くのを待っていたら真夏になって、書きたかったことが脳から蒸発してしまいそうなので見切りで書いています。ああ情けない。
責任ある記録は、毎度思いますが、私の知的作業としては周りに迷惑かけながらギリギリでも、許容範囲は越えていると思います。
膨大な、口話で言えば早口で沢山話してやっとカバーできる情報から、普通の人に分かる言葉を、失礼のない文体で、正確に決められた枠に切り取って見せなければなりません。
自分はこれが印象的だと思っても、誰にでも通じる言葉に直して書き取らなければならないので、頭の中で定型者の言葉に全部を翻訳し直すような作業をして、そこから切り取り作業に入ります。
一問につきイエスノーから選べるようなマークシート式ならどんなにいいかと何度思ったか!
だから、私は締め切り日が決まったらすぐ脳の中だけの、しろかき(田植え前に水田を引っかき回す作業。)のような準備作業に入ります。
最終的に、文字打ちにかかる頃には脳が日常生活から離脱したような状態で集中します。・・・同僚は合間に二つは仕事を片付けています。
もともとADHDならてきめんに眠くなる作業を強迫で、リタリン無しで続けるのですから、部屋が汚れていってもわざと視界に入れない位、何もしないことを自分に強制して、PCの前に自分を縛り付ける状態にします。無意識でも動かないでいられるADDであることと、独り者だからできることです。
続けます。
続きます。
そして、難しいときはADHD並にせっぱ詰まってから具体的に文字を打ち込み始めます。
ADDの言葉を知らなかった頃、期待され反省を望まれ償いを望まれしていた時の書き物時期の再燃と闘います。
闘いすぎると反動が来て真っ白になるので、テレビを小さく付けてやり過ごすことも入れます。
子どもの躾では“夏休みの宿題は早くに”が一般的ですが、私はこれをできない身体だと嫌と言うほど判らされます。
提出後も、若い頃は劇的に切り替えましたが、今はたまに物忘れを繰り返したり、ささいな言葉が出てこなくなったり、(おかしくなってるな・・・)と自覚できる反動があります。
反動から解放されたと自覚するまでに、長いと2週間近くかかることもあります。
頭の線を一部失いそうになりながら書いてるのかもしれません。
本当はここでこそ気分コントロールのための楽しみのイベントが一つ入るとちょうどいいのでしょうが、そうもいかないのです。
若い頃は反動から立ち戻って来れなくて不安定になりそうになったら、自分の構造をよく判っていなくて身体をへとへとにさせる遊びをしようとしましたが、楽しめません。
私が自分を見失っているときは、人が私を待っていて何かしてくれる受け身のイベントが一番理想的だと勉強を重ねて分かりましたが、そんな絵に描いた餅は誰も食べさせてくれません。
自分からは動かない、空想だけは脳内でバチバチとショートして広大な私が満足できる、贅沢で難解なフィードバックが、探してもずっと無いままです。しかし無いままだと、いつかきっと困ります。
何歳まで働けるのかな・・・と毎年考えてしまいます。
ギリギリ間に合って、腑に落ちて、納得して、
建設的な選択ができたのに、
そのとたんに体調不良。
だるくてだるくて起きられない。
肝臓と腎臓の働きが落ちているとのこと。
不安と今度こそがんばらなきゃというプレッシャーが原因のよう・・・。
やっと1つクリアしたら、次の壁が・・・。
でももう後がないので、
がんば!
凄ぉく余計なことですみませんが、ついYKさんちょっとうらやましいかもと思わされて・・・。
20代の、発達障害を知ったばかりの頃ですが、もう身体が限界で何も頑張る理由に繋がらず、不注意のために機械的に働く能力も無く、思考が燃え尽きて再燃も湧いてこないくらい白くなる時がたびたび増え、動作的な想像力が一切働かなくなったときにも、地元の総合病院の検査では私の身体を「異常なし」と言いよりました。
発達障害の構造の深い理解とソーシャルスキルトレーニングが無いなら、次にしゃにむにでも復活して働く方法は泥のように休ませてもらうしか消極的な方法が残って無かったのに、神経衰弱や自律神経失調症にすらしてもらえなかったこと、誰も私が休む必要性があることを気付けず、私も自力で証明できなかったこと、自分の力で自分を守るための手段を適切に要求し勝ち取れなかったことが、一回り以上年齢を重ねた今でも悔しいです。
当時は、無いものを見つける責任も私にありました。
何か原因がないか聞いて回った人間皆が私に迷惑をこうむりました。
「私の問題はこれです。だからこれこれをください。」「どうぞ。」と、明瞭に、分かりやすく、後腐れ無く、スムーズに事を運びたいです。
まったく、壁、壁、壁、の人生は嫌ですよね。
働くのは当然という意識はあるのです。
そもそも壁が出来るような、選択や判断が求められる局面が嫌です。
つい書かせて貰っただけですので、嫉妬でも何でもありませんからね。気にしないで下さい。
感情、衝動の波が激しくなったり、暫くは落ち着き始め、また激しくなったりと兄は繰り返すことがあります。
観察をしていると、月に2、3回かその波が激しくなります。
好景気になったりと不景気になったりと経済のように・・・。フラッシュバックか脳の気質、人間嫌いと考えています。
本人はどうにかしたいと言ってますが、自分が変わりたいという思いを持つか、家族の支えがないと無理でしょうね・・。縁切りとかは最悪の選択はしたくないです。
・つい先延ばしをするから欝になる。
・超楽観主義ではダメでまず現実直視で対応を練る。
シンプルなことだけど難しい。
自分への挑戦を続けなければならないのは、生き辛いです。
先延ばしにすることで自分が身の破滅を容認する危険もある。問題を直視しないことでもっと大きな問題がふくらみ続けることもある。
誰も私が私の問題を直視することを望まなくても、認めていなくても、自分の意志で直視しなければならないこともある。
懺悔します。
仕事の優先順位を読み違えました。
明確に言語化されてないまま話し合った仕事の内容を取り違え、大切な仕事を取り落とし、チームの人を何人も巻き込む事態になりました。
巻き込む理由は、上の立場の職員が明解な理由付けをしました。それでも経験者には、私が対処の中心になるには使えなさすぎるから取った体制であることと、私がたぶん倒れないように、お情けで私の体面を整えるための理由付けであることは、容易に気付くであろう内容になったかもしれません。
しかし私に対処可能な内容なので、十分納得しています。
問題のより速い対処のためには、効率的に動けるベストな役割分担が出来ていると思っています。今はその選択が、私の職場にはもう必要不可欠であるとも思っています。
しかし、例え100や200の状況分析と目的と体裁と理由付けと内部の同僚の理解と納得、各関係者の理解と承認があったとしても“ぴよよでさえなければ! 対処の見通しと役割分担を立てる時にもっと自分が楽できかもしれないのに!”等の感情的不満は、複数の人間と働いていたら誰かが持って、当然です。
人間は、感情を持ち感情を膨らます生き物です。
それが非日常的、緊急事態なら尚更です。
私が話しかけようとしたら、慌てて急いで私から距離を置かれるという事がありました。
私から、逃げられました。
続けます。
続けます。
私は距離を置かれて当然の人間です。
私が招いたことであり、私のせいであります。
しかし、これが私が別記事で“魔女狩り”“処刑”と呼ぶことの芽です。限界で、我慢できなくなった人間は、今度は原因となった対象が居なくなるまで、口では私を助け続けながら、違う動きで私を排除することが可能なのです。定型者全員に、365日そうする自由があります。
彼女達には能力があり、限りなく自由な人間なのです!
私の頭には転勤前の職場で若者の同僚達に言われたことが今でも残っています。
歳を取っても人間の本音は基本的に変わりません。隠すことが上手になるだけです。
経験を重ねれば私の反論は封じたまま陰で私に何でもすることが可能であり、私は特にそうされて影響を十分受けることが容易い人間です。
“処刑”の芽は早くに摘まなければなりません。
例え私が常時迷惑を掛けている存在でも、望まれることを全て行なっていたら、私が身の破滅を自分で選択したことになります。私は“辞めろ”メッセージが続く事態を封じる策を、先回りして取らなければならず、自分のためにそうする責任があります。
私は、汚い人間です。
今はお詫びをしながら笑っています。
笑って、笑って、笑って、笑い続けて、私が決して役割内容に疑問や不満があるわけでなく、もっと楽をしたいと我が侭を言いたがっている訳ではないことを態度に出しています。
明日からも必要があれば感謝も交えて口にも出していきます。
しかし、私は感情的反応を出させるまで同僚のほんの一部を追いつめた罪人です。
罪人であることをよく自覚していることも、表裏関係なく、必要以上に謝って証明しなければならないと、自分にプレッシャーをかけています。
そこに、“申し訳ないけど辞められないよ。”のメッセージを込めなければなりません。
“もう一緒に働きたくないから辞めてくれる?”のメッセージには、私から丁重なお返事を差し上げなくてはならないと考えます。
続きます。
続けます。
これが現実だからです。私が一方的に忘れても、ダッシュは現実だからです。
家の中でも、再燃したときに口を引きつらせて笑うこともあるほど、私は自分で意識するのです。
分かっています。たぶんやりすぎると私は違う病気になります。
肩を叩いて「ぴよよもシツコイナー!」と声を掛ける等の働きかけをくれる存在は、インターネットの中にも外にもいません。私は私の姿を正確には分かっていません。
しかし衣食住を得るために、お米や牛乳を手に入れるために、ここまで汚くならないといけない社会に住んでいるのは私だから、自分で決めるしかないのです。
汚いキャラクターの人間にはなりたくないと、うら若い、社会へ出る頃には思っていました。障碍名すら知りませんでした。
私は結婚しない、逃げ場は無い、だから社会で可愛くていいポジションのキャラクターになりたいと、そのためなら努力出来ると思っていました。
誰かがきっと私が失敗しないように資料を作っている、社会で頑張って探せばすぐ見つかるとさえ漠然と思っていました。
失敗例と、対処例を勉強すれば、失敗を回避でき『失敗しない誉められる人』になれるとイメージしていました。そうなったら自分は安全だと思っていました。
人に良く思われる方法、しかもASが働くだけでなく、信頼されるだけでなく、人に好かれる方法の事例や資料が世の中には無さすぎます。
経過は・・・わざわざ書き出してしまう自分を、馬鹿だと思います。
腹の内が、見えなくなりました。
誰もが、防御するでもなく、“処刑”の芽を見せることも無く、ニュートラルでフラットな位です。
装っているのでしょうか。
前の職場よりも平均年齢が高いため、自己コントロール力は高い集団なので、その可能性はあるでしょう。
だからこそ、私も仕事に集中しやすい利益が受けられます。
その注意力を子どもに使えます。そうしていいのなら、こんなありがたいことはないという事は、変わりません。
問題はこれからも続くのかです。
そこに本音が見えると思うのです。
これからも自分の責任で、私は目の端に人の顔色をチェックし続けなければなりません。
始めから感情的に好かれていない人間が働くということは、かくも面倒。
ケアする暇も無く考え事を続けなければならないので、唇がぱりぱりに乾いて引きつり笑いをする余裕も無くなります。
危険に脅迫されながらするのが、“仕事”です。