ADHD関連

「ADD」と受動型ASと依存型ジャイアン

 実は私はADDという診断をほとんどしない。なぜなら、もっと情報を集めたら受動型ASであったり、ADHDのAC(ノビ太)であったり、依存型ジャイアンである可能性まであるからで、これらのどれになるかは非常に重要だからだ。

 ADHDには幼少期はもともとボーっとしたタイプと明らかに多動なタイプがあり、いずれもほとんど大人になると「脳の多動」はみられるので、全くテンションが低いままのADHDと呼ぶ仲間(いわゆるADDを含め)というのは私はあまり考えない。「多動」というのは「過集中」の時には見かけ上起こりうることで、その意味では私はみんな「ADHD」だと思う。

 ただ、「ADHDのACで、自己評価が低く、周囲に合わせないといけないと思い込んでいて、自分の好きなことに出会っていない」というケースは過集中も見られず、見かけ上ADD様に見えるだろう。しかしACを治せば必ずADHDっぽくなる。

 受動型ASの場合は、相手に合わせているので、注意深く相手や状況によっての行動の違いを観察すれば鑑別できる。多くは愛着の対象のほうに異常に要求が強くなり、外では非常に協調的である。「ボロを出さない」抜け目無さが見かけ上ある。

 依存型ジャイアンも一見分かりにくい。外で優等生になったりすることも多い。その場合は「評価されに行っている」ところがあるので、優等生の場面で誉められた時の反応が参考になる。家庭内で強い相手に依存にして従順になっているときは、一見非常に素直で自己主張もせず、発達障害っぽいトラブルにならないので表面化しにくいが、「責任」が問題になる場面で本性を出すことが多い。

 多動が目立たなく、人に八つ当たりもしない、過集中が目立たないというケースの場合は、ADHDのAC、受動型AS、依存型ジャイアンの3つを頭において観察してみることが大事だ。


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コメント

    • ぴよよ
    • 2008年 3月 23日

    私はASと不注意優性型ADHDの他は詳しい診断をしていただいたことがありません。
    いつか、二次障害と思われる症状が改善したら、私も脳だけの多動付きADHDなどと呼ばれる日が来るのでしょうか。
    二次障害の改善や解決なんて、現実的には生涯の夢で終わりそうです。
    今、コンサータとコーチングをもらえている十代以下の子達にそのチャンスはあるのかもしれません。
    未来には、発達障碍を持った子達が恐れずに自分の衝動を口にし始めたとき、社会はどのような態度で受けとめるのでしょうね。
    「動きたくない」「××な人に言われたことなんてやる気にならない」「褒められないなら頑張らない」「もっと誰にでも良く思われないと不安でたまらない」「あなたが悪い」「なんで合わせてくれないの」「誰にも邪魔されない準備ができたら始めるかもしれない」・・・・・過剰適応を捨て、心因症状を治し、解離することなく偽りのない自分を保ち続け、ACを脱した子達がストレートに大人の堪忍袋の緒を切ってしまう生き方を始めたときに、大人達はいかなる支援を用意している時代になっているのでしょうか。
    現在はまだ無理な気がします。
    子どもが大人になるときに、なぜエゴを押さえられるようにならなければならないのかを、損得抜きで説明できる大人が、私を含めてまだいないからです。
    「お金が得られなくなるから」「人に見放されて食べていけなくなるから」などご飯とお金が理由のうちは、説明は難しいでしょう。
    ADHDを持ちながら真面目に社会適応しようとしても、ご飯とお金と人(情)に恵まれない当事者は絶えません(そのうえ薬も取り上げられている)から、話は悪循環し続けるであろうからです。

    • a
    • 2008年 3月 24日

    ADDって少ないんですか?自分も少しのび太っぽい部分を感じてます。積極奇異型の部分もあれば受動型の部分もあるし(今は受動型)自分もACの疑いがあるのでACが改善されたら本性が出てくるんですかね?やんばるさんの言うとおり自分は小さい頃ボーっとしてるというか大人しくてのんびりマイペースな子で成長していくうちに明るく元気になり始めました(多動はあったか分からないけど今一番多動あるかな?)それで中学の時は積極奇異型でうるさかったせいかよく友達に溜め息つかれたり、かと思いきや人に選択肢をゆだねて呆れられたり・・・。今は弱って疲れて息切れしてしまい家族とは全く喋ってないけど受動型ですね。ACの部分すらも疲れてしまい人に合わせてしまうからでも疲れるから人を避けてしまいます。どう話していいかも分からないし。まだ整理がついてないし本当の自分も分かりきってないので自分は何者なんでしょう・・・?

    • ねね
    • 2008年 3月 25日

     認めることでこんなにがっくりくるものかという心境です。自分は長いこと低エネルギーなのできっと依存型ジャイアンなのでしょう。でも、ハイドが強くなるとパワフルです。
     主人は受動型ASらしいことも3つ前の記事でわかりました。主人に出逢ったとき、私はハイドが強くパワフルでバランスがよかったようです。主人のほうも何が起こってもどこ吹く風という様子が若い私には寛大さに見えて依存できそうだと勘違いしたのかもしれません。 
     しばらくはジャイアンと受動型ASのベストカップルかとも思いましたが、実際は依存型ジャイアンと受動型ASの組み合わせのようです。では誰が家族のかじを取るのかということで責任を取りたくない二人が決定権の譲り合いを年中やっています。たいてい私が業を煮やして決めてしまいますが・・・
     それで、神に頼るということが自然に起きてきます。でも、ここでも問題が生じるのです。聖書を学んで 聖書の正しさを知った自分は正しいことはやらなければならないという合理性で突き進んできました。それは、造られしものが造られた方に従うことこそ生きる道という正当な考えでもあります。また、神は依存したい気持ちを埋めてくれる全く依存してよい存在でもあります。ここまでだと とってもいい気がするでしょ。問題はハイドの存在です。
    つづきます。
     

    • ねね
    • 2008年 3月 25日

    つづきです。
     ちょっと宗教的になりますが、神は万物の創造者。物質のものだけでなく、霊的な部分も創造された方です。最初の創造物がみ使いミカエル(後のイエスキリスト)です。そして彼を通し、たくさんの霊者を作り宇宙を作り人間をお造りになった。 
     神に全くの従順を持って仕えるイエスキリスト。かたや己のエゴのために神に背き悪魔になってしまったひとりのみ使い。つまりジャイアンはイエスと悪魔が自分の中に一緒に存在していることになる。
      はぁぁ。こうなると信仰も難しくなります。ジーキルだけで生きられたら、立派な信仰の人になれそうですが、悪魔のようなハイドも自分なので押し込めてしまうと病気になります。でも、開放してやると信仰が台無しになりほかの人にも迷惑をかけてしまいます。
     このまま、ハイドを押さえ込んで病気とともに信仰の道を歩むのか、危険を承知でハイドを少し開放して自分らしく かつ綱渡りのような危険な状態で信仰を続けるのか真剣に悩んでいます。でも、自分じゃない状態で本当に信仰と言えるのだろうかとも思います。それでも、自分を全開にしたら信仰なんて成り立たないし・・・・苦しいです。

    • エイト
    • 2008年 3月 26日

    私は子育てがいつも悩みのタネです。
    私の親がそうであったように、私がエゴ全開で接していたら子どもたちは「ACと強いエゴを併せ持った状態」になり、それを反省して1年半エゴを極力抑えて接したところ「ぐうたら依存のび太」状態になってしまいました。
    ここにきてやっと、先生が仰った子ジャイアンを育てるうえで重要なポイント、「努力家のインストール」にとりかかる決心ができました。
    とはいえ、うちの2匹の場合とても手ごわいので、両親が真面目にコツコツ働いていても、それだけでは実感が湧かないようです。私にできることといえば、簡単な勉強をみてやることしかできません、それでもコツコツ頑張ろうと思います。もうそれしか方法がありません。
    ADHDは脳の成長が同年齢の子よりも3歳遅いという説もあるので、もう遅いと落胆せずに、私自身を励ましています。(しかし長男は徹底的にゴネる反抗タイプなので、一度本人が思うどん底を経験しないと努力家のインストールは無理かもしれないと、心のどこかで思ってしまう私もいますが)
    私自身は「低い自己評価」を極めたいと思います。極めたときに、「矛盾」部分がいくらか変化するのか、ジャイアンのみなさんに良い報告ができればと思います。

    • 黒すりごま
    • 2008年 3月 26日

    ジャイアンの方が「低い自己評価が有意義だ」とおっしゃることに不思議な興味を持ちました。
    禅では「大脳皮質の働き」をあてにせず、その奥の「原始的な脳幹の働き」を重視しています。瞑想を実行することで大脳皮質の働きが静まり、脳幹の働きが活発になります。
    ジャイアンの方が「低い自己評価が有意義で、調子が良い」と感じていらっしゃる時は、もしかしたら「大脳皮質中心の思考回路」よりも「脳幹中心の思考回路」に近くなっていらっしゃるのではないかしらとふと思ってしまいました。
    まったくとんちんかんな想像かもしれません。わけのわからないことを言ってしまい、失礼いたしました。

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