ADHD関連

ジャイアンの空虚

 私は小学校高学年には、「色即是空」(物事には実体がない)という文章を見て「当たり前なのに」と感じていた。冷たい水の中に沈んで水面の上にある世間を眺めていた感じで、その後何度も死ぬことを考えた時期には、「僕は最初から一日も生きていませんでした」という感じだった。

 30を過ぎて精神分析のゼミをきっかけに「再インストール」したときから人と多少関われるようになったけれど、それまでは病的な「離人症」の状態であったと考えていたが、今考えるとどうやらこれはジャイアンの根本的な立ち位置であったかもしれない。

 ジャイアン(自己正当化型ADHD)は自分に関連するものや人だけしか認識しない。本当の「他者」は相当の努力や幸運がないと感じられるようにならないと思う。はじめは「どうしようもなく世界にただ一人」なのだ。

 他者との結びつきや、関係性の中で自分のアイデンティティーを確認することもできず、意識して一秒一秒頭に何か「継続した自分の証明になるもの」を持ち続けなければ、一秒前の自分をも見失ってしまい、自分が誰であるかわからなくなってしまう。自分の存在はいつでも簡単にふっと消えてしまうような「空虚感」がジャイアンの感じている世界の本質だろう。

 すがりつくものを探す死に物狂いの努力はこの空虚を埋めるためにある。ボーダー(境界性人格障害)の人のように人を振り回し続けたり、「一番」、「中心」の地位に固執したがったり、そうでもし続けなければ自分は直ちに消えてなくなってしまうのだ。

 結婚して子供も持ち、仕事もある程度安定して来た今でも、この根本にある空虚はほとんど変わっていない。脳の働きの根本的なところの問題だからだろう。

 子供のときから世の中の一切のことを諦観したような「空虚感」という立ち位置がジャイアンの最初の出発点であるというところを今考え続けている。   


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コメント

    • しあ
    • 2007年 6月 10日

    はじめまして。このところずっとこちらのブログを読ませていただいてます。
    私は今年の2月に25年の結婚生活に終止符をうちました。
    2年半前に「自由になりたい。オレはお前達とは違うんだ。家族なんてもういい。」と言って別の良き理解者とやらと出奔してしまいました。
    それまでも何の相談も無く仕事をやめる。(大体は自分の仕事の仕方に意見をされて激怒して衝動的にやめる。)アルコールに逃げる。(その際カードで大盤振る舞いしてしまう。酔った挙句ケンカする。)子供に向かって非道徳的な教育を施す。(集団でやるお遊戯などやらんでもいいくだらない。気に入らないヤツはかまわないから殴れ。役にたたない年よりは早く死ねばいい。道徳なんてくだらねえ。)
    その度言い争うになりますが、大抵政治がよくないだの、思想がどうのと話がそれてしまい。ちゃんと何かについて話し合えたことはない。こんな露悪的な言葉ばかりはいていても彼の内面は違うんだと思おうとしてました。
    こちらのブログで自己正当型のADHDを知り、彼はこの病気だったのかなと、数々の行動や言葉の裏にあったものを見つけたように思いました。
    家族なんて重い。(自分の実の親子関係も非常に希薄で、金ずるのように扱ってました。義父も私達のもとにおいていってしまってます。)平凡な地道な毎日に耐えられない。オレはそこらのチマチマしたみみっちいヤツラとは違うんだ。お前とは考え方が違う、お前はお前にふさわしい小さいヤツと一緒になれ。
    彼は率直に自分の気持ちを語っていたし、私が大多数の常識的な考えを押し付けたことによりストレスを感じていたんだと今はわかります。娘に「オレは我慢したんだ。」と言っていたそうです。
    彼の中の空虚をその表情から感じていました。でもなんとか普通に暮らしたいとあがいてしまった25年でした。
    今彼は良き理解者と思い通りの生活をしています。私は子供達とともに健康で穏やかな毎日が過ぎることに安らぎを感じ、時々感じる寂しさ空しさを振り払いながら暮らしています。幸せの感じ方が違ったんだと自分に言い聞かせてます。

    • lis
    • 2007年 6月 10日

    インストールのコツを読んで書いたものの、濃すぎる気がしてあたためていました.ここだったら出せそうな気がするので、投稿しますね...

    ずる賢い…って、嫌な言葉ですねぇ…
    http://www.geocities.jp/yanbaru5555/widetable1-2.htm
    で比較すると、
    自分を有利にするための嘘はつかない。正直、純粋、不器用。
    というADHDの仲間とは思えない乖離…
    先生はご自分もそうだと認めておられ、そこに至る道を克服されているからか、
    また医師として、ジャイアン被害の酷さをその被害者から、修正のきかなさを本人から、目の当たりにされておられ、
    それゆえに治療の道を模索しておられ、本質を見つめるべく示唆されているのでしょう。
    でも、一連のジャイアン分析と改善策には、ちょっといたたまれない気持ちになるところも…
    自分がジャイアンのACに当てはまると思うところが多々あるので、省みて弁護(?)すると、ずる賢いというより、根源にいいようのない、よるべのなさ、空虚…の中にたたずんでいる幼い子供が見えます。
    アイデンティティーという言葉や、自我という言葉が、実は先見的にわからない、実感できないような。
    例えば「親から見捨てられる不安」というよりも、もっと深淵な、恐怖感に近いものがあった気がします。
    大げさに言うと世界(というよりもっと広大な感じですが宇宙からと言うと辛すぎる感じ)から、見捨てられるというより、最初から忘れらているというか、関係ない感じ。存在そのものが。
    (だって見捨てるというのは最初は見捨ててないわけだし、忘れると言うのも前は覚えていたわけだから)。
    なんか、間違って、エラーでもぐりこんでしまったような。間違いがばれちゃったら行き場がないような。誰の間違いなのか? 神様?
    そんなことはない、思い違いだ。
    そういう客観的なデータを必死で探して確認して、時を経るにしたがって、大丈夫だ...と安心を重ねるのだけれど、核のようなところにある、自分の存在に対する冷たい否定は決して修正できないんですねー。

    • lis
    • 2007年 6月 10日

    つづきです
    こういう恐怖/不安が、生育環境とか、そういうもので創られるのかどうか...
    そしてどのくらいの人がそれを隠し持って、耐えているのか...
    ある種の芸術に触れると、それが決して自分ひとりのものではないことが感じられて、安堵していたように思います。一方、作品と作者に触れながら、自分の中のそれを研ぎ澄ましてしまわないように、細心の注意も払っていたようにも... おこがましくも...ですが。
    注意を払いながら、エラーじゃないデータを拾い集め、不安から逃れるために藁をも掴む行為に出ている
    そんな徹底した自己評価の低さが、ジャイアンの正体だったりしませんか?
    こういう感覚を見いだせる対象はリアル世界にはなかったけれど、文学作品や音楽には思い入れられるものが少なくなく、真空な孤独を癒せていました.でも、自分はそんな人であることを周りは感じていなかっただろうと思います.賑やかで、活発な、そんな子供でしたから...

    • ミミ(ADHD)
    • 2007年 6月 13日

    ADHDと関連して思ってみたことはあまりなかったのですが、そういえば、
    昔から、「自分は『器』なんだなー」と思うことがたびたび有りました。
    (器というのは、ほぼ物理的な容器です)
    何かを構築していく、というよりも、構築していく土台となるものが
    あまり実感できなくて、「物を注ぎ込んでいく」という感じでしょうか。
    いつもそう思うわけでは有りませんが、ふとした時、しみじみと実感します。
    自責とかそういう感覚ではなく、ただあるがままに「悟る」という感じに近いです。腑に落ちるといいますか。
    感覚的に「頭の中空っぽだな」と思って知識や技術を入れ込んだりするのですが、
    それが記憶にあってもやはり「空っぽだな」という感じに戻ります。
    入れ込んでも入れ込んでも「からっぽ」感があるので、
    モノを器に入れ込んでもその点は解決しないんだろうと今では漠然と思っています。
    人間の行動・文化の違いに興味があったのですが、それはどちらかというと「観察」に近いかもしれないです。真似するためにデータを集めていたのかもしれません。(種としての全体的な概念「人間」に興味はあっても、個人の人間にはあまり興味が湧かないような気がします)
    「早く人間にないたい」とか「星に帰りたい」と思ったりします。(どちらも文字通りの意味です。自分が物理的に人間だということはわかっているのですが)
    多数派と自分の間に見えない境界線を感じることがやはりあります。しっくりこないというか。
    (すみません脱線しました)

    • ミミ
    • 2007年 6月 13日

    あとそれから、昔からの記憶を失うことを平均以上に怖がっていたかもしれません。
    4歳のあの出来事まだ覚えている、大丈夫、という感じでしょうか。
    情報としての記憶が混線するのはそう怖くないのですが(確認できるので)、
    実際に体験した記憶が事実から離れていくというのは駄目な感じです。(記憶力は強いわけではないのですが)
    忘れることよりも、実際の出来事と記憶のギャップが出る事の方が私に関しては嫌みたいです。
    この辺の感覚は、AC状態でもなるのでしょうか? 他の人と比較しずらいのでわからないのですが、嫌な記憶とか他人との関わりの経験とか、そういったものでもないような気はします。
    (個人的な感覚では、ACに関することはぎゅっと嫌な気分になったり、どこか一部から暗雲ただよってくる感じなのですが、今回のテーマについては、もっと全体的で静かで透明で、でもなんだか落ち着かない、という感じです。もっと根本的なもの、生得的なもののような気もします。感覚的なものなのでもちろん断言できませんが)
    「空虚感」があるということを自覚できているのとできていないのでは焦りなどが違うと思うので、なるべく心にとめて置けたらなと思います。

    • 匿名
    • 2007年 6月 15日

    いつも勉強させてもらってます。
    空虚感というか虚無感のようなもの、理解できます。
    宗教的な感覚のように思いました。
    出家するひとは、ジャイアンが多いのでしょうか。
    勿論、事情は様々なのでしょうが、
    釈迦や西行など、なんかそんな感じもします。
    聖書でも心の貧しきものなどといいます。
    宗教者にはADHDは多いのでしょうか。

    • lis
    • 2007年 6月 16日

    「あなたは無色透明」 
    随分前に、私を若い頃から知るかなりトップレベルの上司の呟きが忘れられず....
    最近同僚にそれを話したら、ものすごく人に大きな影響を与える無色透明だ と返されました.
    自我 という言葉がなかなか理解できず、もしかしたらずっと実感できていないかもしれません.不安定な自我 という言葉でやっと分かる気がしました.
    ミミさんの「器」説に得心もいきます
    ....無色透明な空っぽな器
    でも...、実体はある
    内容物を留め、空気との接触を減らし、光を屈折させ...
    ではその存在価値は...?
    でも、そういう自分の問いつめ方は、ずっと前にやめました.
    無理矢理な装置を作動させて自己肯定してよし、としてしまったのかもしれませんが.
    むしろ、
    自分の存在価値を高めること 
    自分をまもること
    それを嫌悪し、できる限りしない
    そうする努力によって救われる
    そんな‘教義’を創り、それに則って生きることにしたんだなぁ...
    と、十代後半を振り返って、思います.
    生きている限り、他の生命を奪うことから逃れられないし、
    迷惑をかけずにもいられない
    大なり小なりだ...
    どう頑張っても、生き物は弱肉強食的な要素から完全に逃れられない
    (吸い込む空気にも生き物が存在してるもの)
    といって、罪滅ぼし...と言うと許されるのが前提みたいで、大仰だし、
    「相殺」って感じでいきたいと思ってます.
    そしてあれもこれもどれもそれも...は選べないから、
    時間と経済と技術の限界の中で、できる限りそのとき、その人にとって最良の選択ができることに責任を持つ
    その責任を分かりやすく引き受ける生き方をしていくのが、
    自分にとって楽で、楽なことしか続けられない...と思ってます

    • マダコ
    • 2007年 6月 16日

    ずっと読ませていただいてます。わたしもジャイアンのようです。「すがりつくものを探す死に物狂いの努力」のところが妙に納得できました。いつからか、なにかしらのすがりつくものを追っていて、見つけたと思っても、また違うものを追っています。また、人を傷つけたくないのに、同じことを繰り返してしまいます。人とはかかわらないほうがいいのかと思ってしまいます。でも、かかわらないわけにはいかず、ましてや子供が社会とかかわってきている今、非常に苦しい状況です。普通でなくていいと自分に言い聞かせても、関わる相手が「ん?」と思う状況を自ら作り出してしまいます。こんな時はこうするいう状況判断ができず、いつも初めてすることのようにしか感じられません。反省しても反省が生かされることはなく、また新たな反省点を作り出すのです。「忘れ去る」ということができればいいのですが、「薄くなっている感じ」にしかできません。そのくせ、自分のことではないが忘れてはいけないことを覚えておけない、自分の中の価値観がゆれ動いてしまう、家族のものなのにいらないと思うと嫌悪感すら感じてしまうなどの困った部分があります。私なりに前に進むしかないとは思っているのですが、「主婦とはかくあるべき」みたいなものはとっぱらっていけば少しは楽なのかなとも思います。こういうものには自ら縛られているようなところもありますので……。
    自分の中の言葉がうまく伝えられたかどうか不安もありますが、できるだけ正直に誇大化せずに書いたつもりです。

    • パパイヤ
    • 2007年 6月 17日

    自分はジャイアンだと思っていますが、ジャイアンは空虚という記事を読んでも、「?」という感じでした。
    ですがlisさんのコメントを読んで、私もオーラが透明だ、そういう人はなかなかいない、そこがいい、みたいなことを友人から昔言われたことを思い出しました。
    人はそれぞれ生まれ持ったカラーがあるけど、その核みたいなものがないという感じなのかな。
    他の人がどうなのか知らなかったから自分では意識したことも困ったこともなかったですが。依存症的というか何かを一生懸命やらずにはいられないのはこういうところから来ているのかなーとふと考えました。

    • ミミ
    • 2007年 6月 17日

    そういえば周りにいるジャイアンであろう人たちからは、どことなくすっきり感が漂っているかもしれないと思います。
    多数派の無言「……」は「言いたいことがあるけど言わない/言えない/呆れてモノも言えない」というかんじだと思うのですが(表情の奥に「発言していない内言語」を感じます)、
    ジャイアンの「……」は「…うん?(言いたいことが無い。以上)」という雰囲気のような、独特の間のある無言を発言の最後に入れることがある気がします。両方の眉毛を上げ、かつ内言語が無い雰囲気で。
    (といっても普通のADHDよりはちょっと陰りとイラつきを感じますが。
    今思えは普通タイプのADHDであろう、という人のことを思い出すと、内向的な陰りみたいなものをほとんど感じませんでした。イラつくことがほとんど無いような雰囲気で私から見てもかなりのマイペースでした)
    本題(虚無)からそれるのですが、他のトピックの感想をすみませんがこちらに一緒に書き込みさせて頂きます。
    『自分をあっさりジャイアンだろうと認めるケース』
    私もおそらくジャイアンだろうと思ったのですが、あっさり?認めたことで思い当たる理由?は
    「ブログのジャイアンに関する所見が増えた(幼少期の特徴など)」
    「有益な情報を提供してくれる先生が自らジャイアンであろうと認めたということはそうどうにもならない(自分を救いようが無い)ことではないと思った」
    「周りが被害を受ける可能性が高いことを自覚していればそういった行動を減らせるから処置無しではない」
    「ジャイアンに害を受けたことがあまりない」(ジャイアンであろう父が(自慢話とかすごいです)AC状態ではないために(自分が大好きなため)大抵楽しそうだったのでむしろ一緒にいて楽しかったこと)
    「私がAC状態だったであろうおかげで自分の問題をどうにかしたがっていた=極力自分の正確な状態を知る必要があった」
    ということが、私に関しては上げられると思います。

    • ミミ
    • 2007年 6月 17日

    (つづきです)
    『日記の方に書かれていた、ジャイアンの「人に入れ込む」傾向』
    そういえばこれも確かにあります! 基本的に「離れていても本人が無事で幸せならそれでOK」というスタンスなのですが、やはり気にかかります。
    ジャイアンの同類であろう人たちへは、「楽しくやってるかな~、何してるかな~、まぁどうせ一人で楽しめる人だから色々やってんだろうな~」でもたまに思い出しては気にかかる(心配ではなく)という感じです。
    ASの人の場合は、周りにいないのでわからないのですが、駅員さんでASだろうなと思う人がいたら「ストレス大丈夫かな~」なんてちょっと要らない心配してしまいます。多数派に理不尽に苛められたりしてないよな、とか。(多数派の若い人には、本人の前で色々言う人もいるので。多数派と限らないかもしれないですが)
    弟が自閉症なのですが、こちらの場合は「疲れをあまり自覚したりしないみたいだから疲れてないかな~大丈夫かな~無事かな~危害加える奴がいたら許さん」とかそういう感じです。
    多数派に入れ込むことは基本的にほとんど無いような気がします。(感情が通じてないような気がするからでしょうか?)

    • 匿名
    • 2007年 8月 05日

    現在の「認知症」は老年性と脳血管性がありますが,老年性にもアスペルガー兆候群のように,比較的,若い時に発症するものと,ある程度の年齢(70歳辺り)から発症するものと大きく分けて2種類あり,症状の内容は千変万化です。
    少し,角が立つことと思いますが,今の大学での学部長,病院長,それ以上に学長というような方は,大学内だけの選挙で選出されます。どこの大学でもそうですが,この選挙には各議員選挙のような法的規程がありません。
    極端に言えば,買収のようなことも,罪にはなりません。
    公約と言うような物も,はっきりとしていません。
    ある意味で認知症と言う様なこだわりのある人が,何年間か,何々「長」になりたいと認知症から,人気投票を狙って行きば,票の獲得は可能です。
    さて,一度,「国立大学の何々長」になれば,後は徹底的に事務が擁護します。何年が後に,ことなく,平凡に人気を終われば,元何なに長の肩書きが大いに役に立ち,又,次の私立大学の長になることも少なくありせん。
    何々大学長の元の名のもとに,次の私立大学の学長等になって行かれます。何か,どうも必ずしも,有能ではなく,事務の言うなりになる,何々長が増える一方です。
    学長の能力に,適切,軽重の差はあるにしても,どうも人気投票の結果,一度,長になった人がある程度の権力を維持することになり,将来の日本がこれで良いのか,大分,気になります。
    であ,どうすれば,良いのかの問題は残りますが,どうも,お手柔らかな,表面の柔らかい,人気投票一位の方が,一度,学長などになられなすと,次々と私立大学などの学長などになられ,大部分の方は,本人にとっては適切でない,学長職のようなものを続けることになります。
    学長,学部長,病院,等は選挙制度にどうも,問題が大きいように思われます。「何なに長」には,軽重はあっても,不適切な方々は少なくないようなのが,現状ででしょう。

    • 2010年 5月 21日

    記事に共感!やっぱり私もジャイアンなのかなぁ、、、。
    ジャイ母に理不尽に支配されて育ったのでACだったのですが、、。精神分析を知って、癒されて気づいたのは「今まで生きていませんでした」という事。このお陰で幼少期の記憶を大分取り戻しました。
    今思えば、常になんだか陰鬱な子どもでしたね、、、。
    「子どもらしくない」とも常々言われていました。母親に。
    子どもらしい、って母親にとって御しやすい、って意味だと思うんですけど、母親がとても浅はかなので、子どものほうが先に色々気づいちゃうというか、、、。何を聞いても、「そうなものはそうなの!」で済ませるし、話にならない。
    今思うと重度のKY、依存型ジャイアンですね、母は。
    まだ幼稚園に上がる前、幼い私を朝8時半に決まって外に出すのですが、それが近所から見るとネグレクトに見えている、という事に気が付かない。
    近所の優しいお母さんが「Kちゃんを貸してね」としょっちゅう家に上げてくれて、そこの子どもと一緒に毎日のように、過ごした思い出があります。また近所中の家に上がりこんでおり、よく可愛がられた、という記憶があるのですが、今思えば寒い時期、暑い時期など気の毒がられたのかもしれません。
    で、一度そこの所を、ちょっと近所の人に突っ込まれたら、家に入るなり、逆切れしてましたね。それ以来30年以上、その人の悪いネタ探しにいそしみ、、、。事件そのものは忘れても、恨みの気持ちだけはずっと持っているようです。
    でも表面上はそんな事は見せないで笑顔で接しているみたいです。いかにも、でしょう?
    そんな私の夫は母とおそろいキャラ(^^)
    ちなみに母寵愛の弟、その妻も母とおそろいキャラ。
    おかしさに気づかなければ、別の世界があるんだ、というのも知らないまま死んだのだろうなぁ、、、。コワイですね。

    • hiro
    • 2013年 7月 10日

    パートナーのジャイアンは、前は仕事中でも
    「俺は見えているか?」などと聞いてきました。
    その都度「うん見える」と答えていましたが、今もごくたまに聞いてきます。
    状況察知能力の有利不利に敏ければ敏いほどこれは感じるのでは。一方で自分の存在(有利不利)があるからもう一方での人を認識しないほうの自分の恐ろしさ?があるのではないか。
    そのことがジャイアンの行動特性となっていることはだいぶ分かってきました。
    パートナーは睡眠時間自体短いのですが、寝ているうちに死ぬのではないかと言って布団に入りたがらない。今日一日を終わらせることが出来ない。知らないうちに眠りたいと言う。晩御飯を食べながらテーブルでしばらく寝て、明け方布団に移動したりします。
    寝入りばなには不思議アリスの症状が出ます。
    有利不利をあまり人間に向けないように思うので激しいのび太か受動型ASか?とも見えるのですがやっぱりジャイアンなんですよね・・。
    中心志向をインストールしなかったジャイアンは空虚感というものはよりダイレクトに感じるのでしょうか?
    星の写真を撮る趣味もあるのですが、彗星の軌道が地球に近づくと喜びます。迎えが来たと思うのだろうか。
    私はよその星に引きこもりな感じなんで、立ち位置は元々消えてると思うんでその点は平気なんです・・

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