AC、人格障害関連

発達障害と引きこもり

 引きこもりになるためには、A「もともと社会に出る必要性を感じないか考えない」か、またはB「社会に出る必要性を感じてはいるが自分で正当化する言い訳を持っている」ことが必要だ。

 例えば積極奇異型ASや一番になってほめられたいジャイアン型ADHDは、引きこもっていること自体が非常に不安になり、そのままでは引きこもれない。だから例えば重症の強迫症状やうつ状態、摂食障害、パニック障害などとなり、「それらの二次的な症状の結果出られない」ことはある。これは二次障害型引きこもりと呼ぶことにする。
 
 Aには、「愛着の対象の親などへの依存さえ確認できれば社会は関係ない」受動型ASがまず挙げられるだろう。このタイプは学校と家で極端に行動が変わり、ほとんどは学校では自己主張をしないが、家では打って変わって親などへの依存的な要求(時には理不尽な)が非常に激しい。

 他には「先延ばし」で、社会参加できない自分を責めつつ、「そういうことを考えること自体から逃げる」ために「ADHDが全てを先延ばしにする」という状態が考えられる。このタイプは「他人なら平気だが知り合いに会えない」という特徴がある。

 もう一つ、外に出られはするがちゃんと働かないでニートになるタイプには、支配的な親の顔色だけを窺って育ち、自分で合理的に考えることが出来ないADHDのタイプも広い意味では引きこもりに似た状態とはなる。
 
 この一群は「超場当たり的な思考」が特徴で、合理的な思考が出来ないために「自発性」や「責任」を理解出来ず、結果責任を負う必要がある就労や結婚、子育てなどから逃げて責任を肩代わりしてくれる依存相手を探す。人を利用対象としか思っていないところと、場当たり的な認知と思考がADHD的であるが、表面上は人の顔色を窺って生きるので、「一見ADHDに見えない」ことが多い。
 
 Bは、言語性IQがむしろ正常よりも高いケースも多いのだが、言語性IQ >> 動作性IQ で、「言い訳ばかりして現実には何も前進しようとしない」というADHDの一群が居る。

 クリニックに相談には来ても、引きこもりを正当化する理屈の厚い壁の背後に隠れ、どんな助言も「聞く耳を持たない」という見掛けになる。

 IQを測ってみると上記のパターンが多く、おそらく「これまでの人生で悉く、考えているほどに現実の結果は満足できなかった」という経験からこのスタイルが出来上がったのだろうと想像できる。

 受動型ASの何よりの特徴は、「平気で引きこもれる」ところだ。生きる関心はほとんど特定の愛着の対象の人に対してのみに限られ、広い世間、「社会」にほとんど関心がないケースも多い。

 親がどんなに年をとっても、本人のために全て世話をすることを当たり前に要求し、出来ないと平気で親を責める。何か親が指摘すると「親のせいでこうなった」と逆切れし、思春期から何十年経っても全く同じパターンが継続する。

 このタイプに限っては、「脳の働きのレベルで依存が当たり前」である本人から自発的に引きこもりを解消に向かう可能性は非常に少ない。ケアには周囲からの強い介入が必要となる。困るのは親で、親の相談を続けながら、私は半ば強制的に親子を別ける環境調整を私は工夫する。親が体力的に対応できなくなる前に、精神的につぶれる可能性も大きいからだ。

 二次障害型引きこもりは、表に二次障害が出ているので、強迫性障害やうつ状態、パニック障害などの症状で心療内科や精神科を受診する。 

 ベースに発達障害があるので、多数派のうつ病とは違い、「抑うつ神経症」と診断されたりする。役場の手続きなど納得できないことは平気でクレームをつけたりするので、うつ病には見えないからだ。

 強迫症状も、摂食障害も、パニック症状も重症なことが多く、難治性の経過をたどる。その理由の一つは、「これらの症状に引きこもりを正当化する意味がある」ということで、「治る」ことは社会に出なくてはいけなくなることを意味するため、治療にも抵抗し、回復しそうになると別の症状が出てきたりする。

 だから根本的に治すためには、同時進行で社会参加への不安を少しずつ取り除き、引きこもり自体を卒業できる現実的なヴィジョンを示して本人の生き方のスタイル全体を引きこもりを続ける方向性から転換する必要がある。例えば職業訓練校で新しい資格を取るとか、共依存的な家族であれば単身自立するとか、さまざまな環境調整で大きなスタイル転換を準備しつつ症状を治すことが一番有効な対策である。


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コメント

    • 匿名
    • 2011年 10月 18日

    ジャイアンの小生は大学受験前に他の生徒たちが頑張りだすに連れて成績が下がり、そのせいでやる気をなくし、さらに成績が下がる、という悪循環を繰り返していました。
    1浪しても同じでしたが、2狼目突入時に親が「もうこれ以上は金銭的余裕がない。つぎに失敗したら働いてもらう」と断言され、さすがに焦って次の年はなんとか合格しました。
    大学に入ったら人数の少ないサークルでいきなり幹事(全雑用係)を任されたり、社会人になって初めて遠隔地で1人暮らしを始めざるをえなくなったりと、今考えれば人生の節目節目で親の依存から離れなければならない、自分ひとりで考えて行動せざるをえない状況があったのだと思います。それは今思えば大いに感謝すべきことであったと。

    • あまがえる
    • 2011年 10月 18日

    社会に出て働いて金銭を得る必要があることを自覚しているが、社会で働くことで、精神、肉体とも疲労困憊し、ドロップアウトし、数年引きこもることで回復するタイプ(僕)は引きこもりには分類されないのでしょうか?

    • はすのはな
    • 2011年 10月 23日

    ある人を理解したい、とずっと思い続けています。
    自分の居心地の良い場所に執着することが引きこもりというのであれば、ある意味自分の経験値や環境に執着するのもその一つと考えられるのかもしれません。
    多数派の私が当事者の彼を理解するには、まず自分が変わらないといけないと感じていました。一緒にいる時間を増やしたり、話を真摯に受け止めたり、先入観を持たずに向き合っているつもりでした。それでもある人に「あなたは今のままでは彼の一番しんどい時に救ってあげる事ができないかもしれない」と指摘されました。
    厳しい言葉でしたが、私にはその意味がわかるような気がしました。以前彼にも「あなたには無理だ」と言われた事があったからです。それは私にとって最も辛い一言でした。
    本気で変わりたい。いまそう感じています。

    • 2011年 10月 23日

    はすのはなさんへ
     これは私の意見です。違った意見があって当然ですから、様々な人から意見を聞き、自分なりにまとめていってほしいと思います。
     私は、ADHD当事者が相手に対して救いを求めるか、疑問に思いました。そして、あなたが変わる必要があるか、疑問に思いました。
     ADHDはもともと実直で裏表がありませんから、あなたの目に映る彼が「そのまま」であると思います。ADHDは衝動統制の障害がありますから、衝動への抑制がきかない彼を「ああ、またやってる」、「さてさて、いつ戻ってこられるやら」などと冷静に見ていればよいのです。
     惚れた弱みからか、相手に合わそうと努力しているようですが、その努力の方向が適切かどうか。まず、彼は彼、自分は自分と割り切ってみませんか。彼のこと以外の自分のことに真剣に向き合って先を行けば、負けず嫌いのADHDさんは「なにくそ!」と先を越そうとします。なんせ「自分が一番」の気質がありますから。

    • はすのはな
    • 2011年 10月 24日

    みさんへ
    ありがとうございます。
    確かに惚れた弱みですねえ(笑)私も投稿した後(ほんまにそうか?)と自問自答し続けていました。おっしゃる通りです。彼もそれを望んでいないでしょう。ありのままを受け入れるのは、ありのままの自分でしか出来ませんからね。
    夫が亡くなった時、私の一番の後悔は(なんでわかってあげられなかったんだろう)という事でした。死ぬ程苦しかったのに、それを察してあげられなかった。もちろん私は神様でも何でもないので、人の生き死にのタイミングなど知る術はありません。最期を看取ることはできましたが、亡くなる数日前から彼が何かを言いたがっていることに耳を傾けようとしませんでした。
    その「理解してあげられなかった後悔」が執着となって今に至るのだと思います。
    自分が一番のADHDの彼には本当にそのままで思う様に行動していてほしいと思えるし、生きていてくれさえすればいい、と感じています。私は私に与えられた山を登る為にも自分を大切にしようと感じています。

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