AC、人格障害関連

ジャイアンか病気か

 自己正当化型ADHDの子供が甘やかされるとジャイアンになる。逆に力で押さえつけた場合には、私が「自己正当化型ADHDのAC」と呼ぶまた非常に意味不明な状態となる。

 自己評価が異常に下がり、周囲からの評価に過剰反応して、極端に引きこもったり、病的な強迫症状や時には妄想的ともなる。表面上世間に適応している人も、周囲の誰かを悪者にして自分が被害を被っていると言い続け、近い関係者にとってはかなり困った人となる。

 子供の場合は理不尽に力で押さえつけられると、強い相手には従うが、弱い相手には逆に容赦なく痛めつけるようになる。実際私は弟をひどくいじめていた。このいじめ行動には状況がわからない発達障害独特の「限度が分からない」、「手加減しない」という特徴があり、冷酷無残なことも平気でしてしまう。

 そのまま押さえつけられて成長すると、思春期からは非行の方向でストレスを発散するケースも多いだろう。アルコール、薬物依存や、女性の場合は摂食障害や恋愛依存と呼ばれるような人間関係への依存になる。 

 自己正当化型ADHDは厳しい現実を受け入れられず、うまくいかないことがあると多彩な身体症状が出現する。手洗いや入浴が長くなる強迫症状や、うつ状態、吐き気や下痢などの消化器症状、時にはアスペルガーに似た聴覚過敏や嗅覚過敏も見られる。

 実は私自身にもあるのだが、うまくいかない場合の攻撃性は厄介だ。一つ間違えば反社会的な行動となる。私は自己正当化型とみたら統合失調症やそううつ病などの「病気」に近いと考え、子供でも炭酸リチウムなどの薬物療法をすすめることにしている。

 甘やかせば押さえの効かないジャイアン、押さえつければ病的にひねくれた依存症や人間関係を引っ掻き回す人格障害に似た行動パターンを身に付ける。かたや「病気」の経過となるのだ。


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コメント

    • パパイヤ
    • 2007年 5月 11日

    攻撃性が他者に向かうか、自分に向かうかと言う感じですね。非常に興味深いです。
    ジャイアンは3,4歳から傾向があるとのことですが、遺伝的なものだけですか?それとも生まれてから(お腹の中から?)3歳までの環境にもよるんでしょうか。私個人的には、遺伝的に素因があっても育て方によってはジャイアンにならないと思いたいです。(うまく育った人に、自己正当化型の素因があったかなかったか調べようがない気もしますが。)
    あと、自己正当化型がYANBARU先生の言うとおり理論的にしつけられて、ジャイアンにもACにもならずに合理的ADHD?になった事例があれば知りたいです。
    自分の子供の育て方の参考にしたいと思います。今のところ発達障害なのか多数派なのか分かりません。愛情を与えて自己評価を高めながら、最低限のしつけは怒らず機械的にしてると言う感じです。

    • HIKARI
    • 2007年 5月 11日

    先生の弟さんは、その後どうなったのでしょうか?
    状況は違うようですが、弟さんが少し私と似ているので、気になります。

    • まぁ
    • 2007年 5月 12日

    「病気」の経過は、本人の意志で治るのでしょうか?
    といっても、本人が一番自覚してないので問題なんでしょうけど。。どうしたら、本人が気づいて、治す努力をするのでしょう?もう性格みたいになってますし、ましてそういう人は家族など周り(他者が)病気である!と自己正当化してる始末です。気づかない・・気づかせる方法などありますか?返答いただきたいです!

    • 月の草
    • 2007年 5月 17日

    一連のジャイアンシリーズを消化できなくて、このところだいぶ参っていました。完全に降参です。
    ジャイアンの暴力の原因が脳の構造や、連鎖の問題や、何かの病気だとしても、やっていいことではない。たとえばそれを、親や周りが、原因は本人の意思とは別のところにあります、として“本人の責任は問えない”とすれば、障害・PTSDを得たんだから、配慮されて当然だと思ってるジャイアンを増長させる(育てる)ことになる。
    そうして本人に気付きの無いまま目を開けないジャイアンは、救いようがなく、それらは全て偶なことで、自分がその中にすっぽりと収まっていたというのがよくわかりました。
    たとえば、「ここにこんな障害物があったからあなたは転んだんだね。障害物を怒っておくね。あなたは悪くないよ。」という発言があるとする。
    日常のことでならその歪みに気付けるけど、なぜトラウマ体験だと「日常がうまくいかないことを人のせいにしてる」って気付けないんでしょうね。解決を先送りしたい?それとも、自分の醜さを見たくない?問題に大きい小さいも、無いはずなのに。
    トラウマを合理的に解決する道(人格障害・躁鬱・依存を克服。必要な経過と避けるべき経過。)は、どういうところにあるのか考えてみます。先生、ヒントがあれば教えてください。

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