ADHD関連

発達障害の診断の意味

 発達障害の診断は、通常の「疾患分類に当てはめるという」以上の別の意味がある。

 たとえてみれば「染色体異常」の診断に似て、それが分かったところで「根治する」という話にはならないところが通常の疾患診断と根本的に違うところだ。

 だからこそ、逆にそうであればこそ、「少数派(マイノリティー)」であるということをはっきりさせる意味を診断自体が持っている。

 マイノリティーとしては、「現実世界でうまく行っていようがそうでなかろうが、脳の働きを見ればADHDはADHD、ASはAS」という結論となるはずであり、私は実際そういう風に診断を考えている。

 これが医学上は過剰診断になる可能性については承知している。医学上はあくまでも「現実の生活に支障が出ている場合に障害と言う」こととなっているからだ。

 しかし「発達障害のために本来は不可能に近い多大な努力をして、やっと表面上普通にやっている」人を「発達障害でない」と言うことが正しいのだろうか?

 少なくとも本人が望めば、(たまたま環境に合っているかどうかで決まる)社会適応の程度に関わらず、マイノリティーの脳を持っているかどうかの診断は必要である。

 これが発達障害の診断の特有の意味である。

http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/

 


関連記事

  1. 人格障害と呼ぶ前に⑦
  2. 精神疾患に見える発達障害シリーズ②
  3. ASとADHDの関与する事件
  4. ASと「社会全体」
  5. 発達障害の根本問題2012
  6. 境界例と受動型AS
  7. ACとジャイアンと受動型AS②
  8. 家族の都合①

コメント

    • yurin
    • 2006年 10月 18日

    こんにちは。
    度々失礼します。
    このようなお考えの医師がどのくらいいらっしゃるのだろう?
    と思いました。
    どれだけ自分は『疑わしいぞ』と思っていても
    『日常生活で大きな問題が(表面上)出ていないから
    あなたは違う』。
    そう言われそうなので、
    私は実際医療機関に相談に行けないでいます。
    『マイノリティの脳の持ち主』とはっきりするだけで
    かなりの部分が救われるだろう、とは思うのですが。

    • nori
    • 2010年 12月 28日

    僕が最近よく思うのが、発達障害の人にとって早期診断は
    その人にとって一生を左右しかねない大切なことだと
    いうことです。
    ノーベル賞をとった人のように周りの環境がよく本人の能力があれば、そのまま生きていけるかもしれないけど、そうでない発達障害の人のほうが圧倒的に多いです。
    僕の場合、今の学歴と教授のコネで選り好みしなければ
    ある程度の会社にはまず入れると思います。あ
    ただ、おそらく会社に入った後、組織の一員として自分を殺しながら生きていかなければいけないと思うとぞっとします。
    まだACも完全に直ってなく、adhdでもあるという現実でこのままいくと、うつ病にまずなるのではないかと思ってます。
    そのために今自分は、自分のしたい事をするためにそしてできるだけadhdらしく生きていくためにもう一度、今の学歴を捨てて違う大学に入りなおそうと考えています。
    僕のように、自分の真実を知ると、自分の人生の軌道修正を
    することができます。もっと早く知っていれば、あんなにも
    中高時代にトラウマになるほど苦しまなくてもすんだんじゃないかとも思ってます。
    今の僕にとって人生とは、出世することでも金儲けをすることでもありません。親につけられた心の傷を癒し、adhdであることに向き合うことです。そのためには職業選択は本当に大切です。
    ついこの前、本屋で今売れている本というカテゴリーの中に
    「発達障害」に関する本が第3位に入っていました。
    やっと日本にも広まってきたのかなという印象でした。
    発達障害であることが若いうちに本人に伝わるためには、どうしても親御さんにその知識が耳に入る必要があり、そのためにはできるだけ、世間で当たり前のこととして広まる必要がある。
    本当に発達障害が世間一般に広まることを望んでやみません。

    • 一見ASのADHD改め、道産娘
    • 2012年 8月 18日

    私の住んでる市内の発達障害支援センターは、(成人の場合)医師の診断は必要ないと考えているようで、病院を紹介して貰えませんでした。
    ただ、発達障害が原因で起こりうる生活面での困り事の相談には応じてくれるようです。
    でも私の場合、片付けもできて物忘れも目立たなかったので、結局相談する事なくセンターとはそれっきりです。
    (正直、過去に施設内で殺人事件があったので、あまり関わりたくないという気持ちもありましたが…)
    >「発達障害のために本来は不可能に近い多大な努力をして、やっと表面上普通にやっている」人を「発達障害でない」と言うことが正しいのだろうか?
    この言葉がなかったら、少数派の自分と向き合うことを先延ばしして、またヒステリー寸前状態を繰り返してたかもしれません。
    背中を押してもらって本当に良かったです。

    • アメジスト
    • 2013年 6月 21日

    最近、過去記事を選ぶのが日課になっています。過集中の一つでしょうね。
    今日、選んだ記事のコメント欄を見たら、道産娘さんの去年のコメントが載っていました。
    >「発達障害のために本来は不可能に近い多大な努力をして、やっと表面上普通にやっている」人を「発達障害でない」と言うことが正しいのだろうか?
    道産娘さんは、この言葉に背中を押されて良かった、との感想でしたが、私も同じです。
    >少なくとも本人が望めば、(たまたま環境に合っているかどうかで決まる)社会適応の程度に関わらず、マイノリティーの脳を持っているかどうかの診断は必要である。
    なかなかこう言ってくれるお医者さんはいませんよね。
    以前、ネットで見た情報ですが、あるお医者さんの感想で、
    「最近、アスペルガー症候群のぶらんど化(単語でひっかかったのでひらがなにしてみました)というのが起きていて、アスペルガー症候群の中には天才的な人がいたりするので、自分もそれの仲間だと診断してほしがる患者がいる」という記述がありました。
    それを見てびっくりしました。ぶらんど化なんて信じられません。人は皆、普通でいたいけれど、はっきりとした「生きづらさ」があるから、病院に行って診断してもらい、生きづらさの原因と対策を見極めたいのだと思います。
    YANBARU先生のHPとブログで、自分が発達障害の仲間だと自覚し深く納得することにより、無理をしなくなると、どんどん偏屈度もアップしますが、とにかく楽になりますね。身体症状も出なくなります。これらはとても大事なことだと思います。

    • zzz
    • 2013年 6月 21日

    ぶらんど化は、あるようですね。最近はASと鬱病のぶらんど化が著しいそうです。
    生きづらさを解消するために、何かにすがる。その何かが病名になってしまうようです。自分は特別な存在だと思いたがる傾向が見られるとのこと。そのために、病気が治りそうになると医者を変えて一から再開する患者すらいるそうです。
    そうしてしまう気持ちは、分からなくもありません。ただ、退行し症状が悪化するリスクを高めるだけで、何とももったいない話です。
    自分はこれでいいのだという開き直りでさえ、退行を呼ぶことがあります。俺はそうなりそうな自覚があり、周囲に迷惑をかけ倒す昔の自分に戻りたくはないため、徐々に開き直っていってます。
    ※投稿の段階になって、アメジストさんの「単語でひっかかった」の意味が分かりました。俺もひらがなにしてみました。

    • アメジスト
    • 2013年 6月 21日

    zzzさん
    PCのネット回線にトラブル発生で、ガラケーからでは思うように文章が打てないので、回復したらコメントします。

    • 道産娘
    • 2013年 6月 22日

    アメジストさん、zzzさん
    以前のHNのコメント、懐かしいです。
    あの時やんばる先生からメールで「病院に行って発達障害の診断をつけて貰いなさい」と言われ、センターに問い合わせたら「成人の発達障害については把握していないし、今更診断の必要もないでしょう」と言われました。(その後ネットで調べて病院に行きました)
    発達障害のぶらんど化(←私も皮肉ってひらがなで)は、私は雑誌で知りました。
    円周率を10万桁位まで言える等、ASは物凄く記憶力が良くて創造性豊か…と取り上げられてたかな。
    でもADHDもそうですが、神経症や依存性との関連ってあまり取り上げられないですよね。
    このブログで初めて知りました。
    zzzさんは上昇志向が強い方なんですね。(m2さんもそうですが、中心志向のある積極奇異っぽいなと以前から思っておりました)
    あと、別エントリーでの虎の威を借るジャイアンのお話、お察し致します!(私はジャイアンですが、ある程度お気持ちは分かりますよ)

    • アメジスト
    • 2013年 6月 22日

    zzzさん、道産娘さん、
    おはようございます。PCのネットが復旧しました。
    ぶらんど化の話を聞いて、びっくりしました。
    ASと鬱病のぶらんど化? そんなことが起きているんですか・・・
    何だか辛い現実ですね。
    生きづらかったり、苦しかったり、周囲との違和感が強かったりすると、その状態を説明できる明確な言葉が欲しくなるのは人情ですが、それはあくまでも、状況改善の対策が立てやすくなるから、意味があるわけですよね。
    それが逆に現実逃避の材料になってしまうのでは、困りものですね。
    「自分はこれでいいのだという前向きな諦め」と「この立場でできるだけの努力をして向上しようという意識」がセットになって初めて、道が開けるのかもしれませんね。
    今回はいろいろと考えさせられました。

    • zzz
    • 2013年 6月 22日

    アメジストさん、現場の医師の皆さんによれば残念ながら、発達障害や二次障害、精神の障害を特別視して自分に都合よく解釈してしまう人が増加してるそうです。特にASと鬱病(それも新型と呼ばれるほう)について、多いそうです。ほかに、多重人格へのあこがれなども事例としてよく言及されています。
    俺は、ネットの普及が後押しをしてしまっているのだろう、と考えています。ネットを利用していると、情報第一主義の頭でっかちな発想に陥りがちです。それに、万能感も満たされるため、自己を肥大化しがちになります。特別な存在である自分、という幻想を抱きやすくなるってことです。ネットの功罪のうち罪の部分が表面化している。そう思っています。
    俺もまたそうなりそうな自分がいるので、ここも含めてネットに入り浸らないよう心掛けています。弱っちい人間なので、そうは言いつつも……という時期が必ず出てきてしまうんですけどね。何事もほどほどが一番ですね。
    道産娘さん、俺の知ってるところだと、発達障害と依存症との関係は結構あちこちで言及されています。発達障害から依存症にアプローチするよりも、依存症から発達障害にアプローチする記述のほうが多い印象で、発達障害についての記述から入ると依存症との関係のコメントにはなかなか辿り着かないのかもしれません。特に、発達障害を肯定的に取り上げる記述では、依存症という影の側面に言及することはまずないでしょうね。
    それと、上昇志向が強いだなんて、当社比100万%の買い被りっす。自己評価が低いので、武装しないと自信が持てない状態なんです、未だ。徐々に脱してはいるのですけどね。
    何にでも首を突っ込みたくなる積極奇異とダルな受動とが同居してる自覚はあります。受動の色が濃いと自己分析しているのですが、文章では積極奇異の色の濃いスタイルになっているのかも。あるいは、元が積極奇異で、後天的に受動の上塗りがあるのかなぁ。

    • アメジスト
    • 2013年 6月 23日

    zzzさん
    精神医療情報に詳しいですね。読んでいて、「はあ~、そういう状況なのか・・・」と考えさせられました。
    確かにネットは「諸刃の剣」ですよね。特に発達障害者とネットは親和性が非常に高いですからね。
    zzzさんはご自分のことをよくわかっていらして、セルフコントロールが効いていて、偉いなあと思いました。
    私もブログに頻繁にコメントをする時期があるかと思えば、「しばらく閲覧やコメントの頻度を落とそう」という感覚になることもあり、試行錯誤の毎日です。
    「どっぷり中毒状態」だけはとにかく避けたいものです。

    • 道産娘
    • 2013年 6月 24日

    zzzさん
    >発達障害と依存症との関係は結構あちこちで言及されています。発達障害から依存症にアプローチするよりも、依存症から発達障害にアプローチする記述のほうが多い印象で、発達障害についての記述から入ると依存症との関係のコメントにはなかなか辿り着かないのかもしれません。
    すみません、今成人の発達障害の本を引っ張り出して見てみたら「(発達障害は)依存症やうつ病等に隠れていることがある」とありました。
    詳しく教えて下さりありがとうございました。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP