ADHD関連

二つのチャンネル

 前回の「邪心」を別の表現で説明してみると、「二つ目の非言語的なチャンネルを使用しない」ということになる。

 多数派は言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーション(口ぶり、言い方、表情など)の区別を、常に普通に使い分けている。言ってみれば二つのチャンネルを同時に使い分けながらコミュニケーションをはかっている。

 ASも同じく、上記の二つのチャンネルの入力と出力は出来るという意味では(ADHDよりは)多数派に近いという言い方も出来るだろう。しかし「全く同じように出来ると思い込んでいる」だけで、ほとんどの場合この能力を有効に使えていない。その理由はAS独特の極端な認知のシステム(理解の枠組み)にある。

 合理的なADHDは非言語的なチャンネルを通常は使用しない。言語的なチャンネル一本でコミュニケーションを続けるため、多数派とはかなりのズレを体験する。

 さてこの見方で言えば、ジャイアンは「言語的なコミュニケーションは合理的な部分で行い、非言語的なコミュニケーションは中心志向のエゴの部分で行う」というような形になる。言語的な部分は合理的ADHDと同様なので、合理的ADHDと同じく「自分が空気を読めていないことを自覚する」。

 特に非言語的なコミュニケーションは中心志向の部分が前面に出るために、「自分を馬鹿にするか」とか「相手が自分の分をわきまえないで偉そうに言っている」などの上下関係に非常に過敏に反応することになる。

 ASの言動がジャイアンを刺激することが多いのは、ASが常に二つ目のチャンネルで微妙に違うメッセージを出し続けることにあると私は考える。

 例えば相手を徹底的に追い詰めながら、別のチャンネルでは「情緒的に救いを求めなさい」とフォロー(にならないで多くの場合逆効果になるが)のメッセージを出したり、言葉では謝りながら別の形で「許してくれてもいいだろう」と甘えるようなメッセージを出したり、その矛盾がジャイアンにはカチンと来るのだ。

 ジャイアンの側から言えば、「非言語的な表現に振り回されることが多い」と自覚することは重要だろう。非言語的なメッセージを受け取るのは中心志向の部分になることが多いので、必然的に過剰反応となり、後で合理的に自己突っ込みする羽目になることが多いのだ。

 ジャイアンに対しては言葉で言っていること以外に別の形で伝えるあらゆるメッセージが「邪心」と映ることになる。多数派はもともと裏表を使うと知っているので腹も立たないが、正直そうに見えるASが二つのチャンネルを使うから抵抗があるのかもしれない。


関連記事

  1. 依存型ジャイアンの「弾ける」時
  2. 孤立型AS
  3. エビリファイという薬
  4. 親の責任④ ジャイアンの子の「環境」として
  5. 目的と意義
  6. 家族の診断
  7. ADHDの脳のコントロール
  8. 衝動統制の障害

コメント

    • mario (AS)
    • 2008年 7月 04日

    もう書かないつもりだったのに、ASの事になると書かずには居られない…戻ってきて、ごめんなさい。
    この2つめのチャンネルの非言語的表現、AS自身の意識にも普通には登らないものだと私は思います。
    論理的に(言語的に)自分で納得できないものを深層意識下に押し込める、多分多くのASがそれを常に自然に行っていて、それでもって自分の心を守っている側面があると思います。嫌なモノを深層意識下に押し込めた結果出来上がった自分が、本当の自分だと(自分では)思っています。
    ASがこの矛盾を自分で意識するには、かなりの訓練が必要かも知れません。私は最近では、自分の表現する言葉や気持ちの背後にある別の(自分で隠した)気持ちを常に意識する努力をしています。矛盾が伝わってると感じたら、背後の気持ちも出来るだけ言語化してみます。
    ただ、自分深層意識を読むのはとても辛い作業です。そして、努力しても(自分の深層意識が)読みきれない気がしています。
    その矛盾を意識していない(あるいは読みきれなかった)ASにそれを指摘しても、多分どうしようもありません。本人が自分で分からないのだから…
    それと、ADHDはASのこの非言語的表現を良く読み間違えるのではないでしょうか?多くの場合、全然違うポイントで突っかかって来る印象を持っています。
    私が考える解決方法:(1)言語化されていないASの表現は基本的にスルーする…多数派はそれをすると思いますが、ADHD、特にジャイアンには難しい?(2)AS自身は相手の反応に困惑したら、自分の深層意識も掘り返して全て言語化する。最近、この方法で状況が改善する経験を何度かしています。ただこれも、状況と自分の深層意識が認識出来れば…ですけど。

    • 匿名
    • 2008年 7月 04日

    非言語的表現でわかりやすいのは目、眼、アイコンタクトですよね。ジャイアンの自分は話している時相手の目の表情がかわった瞬間に自分が悪いのか相手が悪いのかすごく気になり、さらに自己突っ込みも増幅してあとの会話がいまひとつ整合性のないものになってしまうことがよくあります。でも最終的には無理やり筋の通ったお話に仕立て上げてしまいますが。

    • タマ
    • 2008年 7月 04日

    はじめまして。いつもROMってる「ASかADHDの傾向があるが病的なほどではないので治療の必要がない」と言われた息子を持つ母親です。
    タマと名のらせていただきます。
    marioさんへ。
    ASの人に覚えていただきたいのは、
    スルーされたからと言って決して多数派に受け入れられているわけではない、
    ということです。
    多数派は我慢しているだけで、
    嫌なものを深層意識化に閉じ込めて、あたかも存在しないような涼しい顔をしている欺瞞に満ちた人を
    受け入れているわけではありません。
    空気の読めない人も困るしうるさいですが、自分を棚に上げて正論めいたことを言ってくる相手
    (つまりドロドロした本音を深層意識に閉じ込めているくせに私には一点の曇りもありませんと思い込んでいるような人。でも曇りもないと思ってるのは本人だけで他人から見れば深層意識は見え見えなんですが)
    も疲れるしとても不快です。
     ただ、わざわざ喧嘩するのも面倒だし
    「この人に言ったところでどうせわかりはしない」と空気を読むので何も言わないだけです。
    スルーされている=受け入れられている ではありません。
    表面上は同じ結果かもしれませんが心理的にはまるで違います、お間違えのなきよう。

    • mario (AS)
    • 2008年 7月 04日

    タマさん
    ありがとうございます。ご指摘のようなAS、確かに身の回りに沢山居ります。
    私は大人で経験も積んでますので、上手くやれているかはわかりませんが…正義面して正論を振りかざすような事はしていません(多分)。
    う~ん、ここにおいでの方は、決してASがワザとやってる訳じゃないって知って対処して欲しいって言うか…どうすれば良いんだろう?何が言いたかったのか、良く分からなくなりました。
    まぁその事を知っておけば、その状況になった時にお互いに幾らかでも冷静になれると良いなぁって事で!
    ASのパートナーや家族に対しては、奥底にある気持ちを言語化する事をお願いし続けると、そのうち出来るようになるかも?(AS疑いの息子に試みてます)。

    • くらら
    • 2008年 7月 04日

    Marioさん
    うちの職場でもめるのはAS女vs多数派ですよ
    もめ事おこした時私はスルーしてます
    ASに言っても通じないし仕事滞るの嫌だし。
    但し後でメールでAS女本人に論理的に間違いを指摘します
    ここは本音で書いて良いところだからスルーしないで本音で書いているだけです。
    夫婦とか身近になるとやはり本音が出ると思います。
    ASは未来や相手を自分で推測して動いているようですがADHDはASの想定外な動きをする
    だからASが思っていることとは全然違うポイントでADHDがつっかかるように感じるのではないですか?
    どう感じるかは受け手の自由です
    ASの想定外であったとしても受け手の反応が事実。
    二つのチャンネルで矛盾する内容を同時放送されたら、もしくは多数派と違う情報が流れてきたら
    困惑するのは当然だと思いますけど?

    • kei_
    • 2008年 7月 04日

    最近の記事で、ジャイアンの怒りのツボに、なかなか
    はまらなくなってきて、もしやAS??と
    疑いつつある私です。
    ASの方は、相手の気持ちがわかりにくいと同時に
    自分の気持ちもわかりにくい・・と。
    しかし、そこだけ見れば、ACも自分の気持ちが
    わからない・・・。
    ASが多数派から、話がくどい・・などと言われる場合は
    その深層心理を、事細かに説明している時なのかも。
    自分が今、何を表現したいのか、どう思っているのか、
    を意識して自分に問いかけないと解からない・・・と
    いう部分が、ACでもASでも、障害となっているのだと
    思いますが、{解かる}と、{すべて言語化する}は
    分けて考えてみたほうが、いいのかな??と。
    ただ、全部言えて、関係がスムーズにいく間柄なら、
    OK!!ですよね。

    • むーん
    • 2008年 7月 04日

    しょっちゅう出て来てすいません・・・marioさんを援護射撃するつもりもなければ、正面射撃するつもりもないのですが、ASは多数派に比べて、「2つのチャンネル」が「裏表」というより「真逆」になってしまうような印象を受けます・・・
    多数派は、ある程度「裏」の気持ちを、深層心理に押し込めないで、気がついているので、ある程度言語化された表現にもそれはニュアンスとして現れるので、鈍いジャイアンも(不愉快ながら)それなりに納得はしないものの、それはそれとして読み取って「黙ら」ざるを得ません。
    しかし、ASの場合、本当に言語化された表現と、非言語的表現が正反対のベクトルなので、多数派は「幼稚だな」と思いながらスルーする、分からないジャイアンが「何だコイツ」と突っかかるのではないでしょうか・・・
    具体的に言うと、私はAS彼に「自分の意志でやるんです」と、言語表現で言われつつ、ニュアンスとしては「自分の意志で僕に従いなさい」というメッセージを受け取って(具体的には睨みながら言う訳です)困惑と言うより、めっちゃ腹立ちましたね。
    そうゆう事が他にも重なって、(とにかく自分のノン言語的メッセージに気がついてないし、全部それは「やってない」と否定する訳です)同じくAS父がとうとう「君はペテン師だ、詐欺師だ、嘘つきだ」とこれまた滅茶な事を叫びだして(AS父にも、その傾向はあるんですが・・・)大喧嘩になりました。
    と、ゆう訳で先生に一票。と、同時に、ASの「2つのチャンネル」に腹立つのはジャイアンに限りません。(それでも恋人同士だった時は、「ふっ、馬鹿で可愛いなぁ」と思うこともありましたけどね。)

    • エイト
    • 2008年 7月 04日

    ADHDが空気を読めないというのは、このタイミングで私がこういう書くところなのか?と思うのですが・・すみません。
    marioさん、もし疲れていなければ私の疑問に答えてほしいです。
    前提として。ASの人の思考回路がどういうものなのか、これまでのmarioさんやm2さんの詳細なコメントからだいたい理解できるようになりました。
    そして私は、ASとの「相互理解」は私の人生には必要性を感じないですが、純粋にASの生態には同じ人類として興味はあります(こどもが虫に興味をもつように)。
    marioさんのパートナーへの考え方がmarioさん的に正論で間違ってはいないことはわかりますが、最終的に、「全てジャイアンが判断したジャイアンが望むことだけをジャイアンのパートナーはこなせばいい」とジャイアンが要求したらどうなるのでしょう?
    「 」の中身=ジャイアンの意見に絶対的に賛成しなさい ということです。もっと極端に言えばジャイアンに利用されることをASが納得すれば共存の形はあるということです。
    先生が書いていた、ジャイアン妻を支配できないとわかると一転して服従する夫・・という説明というかその事実、私はとっても理解できます。
    この場でジャイアン女性と共存したいのに上手くいかないと悩むASの男性は結局、ジャイアン女性のことは愛しているけれど、相手の考えを自分の考えよりも尊重することの重要性をわかっていないことが関係が維持できない原因のように私は思います。
    自分の心を偽れない?愛する相手が望んでも自分の考えは変えない?ということでしょうか。そして相手が愛想をつかすのは時間の問題だと予測はしないのでしょうか。
    私が夫に求めるのは経済力と、(できれば)家事育児の労働の手助けぐらいです。それ以外の助言(私にとっては口出し)も協力も要りません。夫は自由に趣味でもしてなるべく家にいないでほしいのが本音です。

    • mario (AS)
    • 2008年 7月 04日

    エイトさん
    最初にお願いします。私が書く内容を、私が元妻にあてたものだとは考えないで下さい。ましてやエイトさんにあてたものでもありません。今は純粋にそれぞれの性質や、共存の可能性への興味で書いています。元妻との共存は諦めています。共存は無理だと感じています。元妻に言及する場合もありますが、可能性への興味によるものです。
    私がASとジャイアンのコミュニケーションの可能性への興味から書くことを、現実のリアルな問題と重ね合わせて反応されているのが、先の集中砲火ではないかと感じています。
    質問に答えますが、ASが完全に服従して共存する形もありでしょう。私には無理だと思います。エイトさんが最後の行で書かれているような事をパートナーから思われるのであれば、私は共存しようとは思いません。
    逆に、ジャイアンの考えに100%従うって事は、ASの意見を尊重することの重要性を見落としているのではないですか?
    100%のジャイアン、100%のASであれば、共存は難しいでしょう。でも、人それぞれ違うものですから、お互いの要求をすり合わせれば、それぞれの形での共存はあり得るでしょう。要求が(気持ちが)すれ違いがちなのが、ASとADHDなりジャイアンですから、ここで相手の特性を知れば、共存の可能性も増すのではないかと思って書き込みを続けています。
    繰り返しになりますが、ここで私がASの特性を説明することを「ASはこうであるのだから、あなた方ジャイアンが譲歩しなさい」とは読まないで下さい。「ASはこうである」とだけ読んで下さい。よろしくお願い致します。

    • エイト
    • 2008年 7月 04日

    またまたすみません。私からASをみるととっても不思議なことが・・。
    よくASの何人かがこの場で「世界とつながっていたい」とか「基準は自分のなかにではなく、世界のなかの座標軸(?)のなかに置いて考える」とか言いますよね。
    それって私が思うには「自分の意思や考え」ではなくて「世界から求められる意思や考え」「世界が必要とする意思や考え」が世界とつながるためには大切で、自分を極力抑えるというか出さないことがASの信条なのだろうと思うのです。
    でも実際にはこの場でのm2さんや marioさんやまーちんASさんのように、この世界(先生のブログという世界)での自分の立場を考えずに(要するにジャイアンのための場ということを無視して)いつもASの主張を前面に押し出しますよね。私はこれこそASに感じる最大の矛盾、疑問です。
    それに自分が身を置く世界は時と場合によって変化するものですよね。ASは自分の立場とか今自分がいる世界とか認識しにくいのでしょうか。それともほんとうの意味で図々しいのでしょうか。
    私からみると「ASは(世界にとって迷惑な)自己主張をし続けて、それでも世界とつながっていたい」となり、「世界のなかに自分を置く、それもかなり強引に」となります。そういう中心志向?はジャイアンにはあり得ないし理解し難いです。

    • むーん
    • 2008年 7月 04日

    私には、仲介の才は皆無なのですが・・・
    私の実家は、ジャイアン祖母とジャイアン母にAS父がかしずく形となっていました。(祖母が亡くなって、母とは結果的に別居の形となりましたが・・・)
    確かに、私もAS父とは、なるべく家にいないで経済的に支えてくれているだけの形が、一番楽だしありがたいです。でも、それってまさに「世界に座標軸を置かない、自分(ジャイアン)にとってだけの理想のパラダイスを求める」ものとは言えないでしょうか。
    私は、できたらこのままずるずる父の介護はしないで、経済的にも心理的にも自立したいと願っています・・・。これはAS彼の姿を見て学んだことですが。
    確かに、「亭主元気で留守がよい」とはいいますが、それを世間にも相手にも100%OKさせようとする姿が、ちょっとジャイアンではないなかと、辛口の感想を持ちました。

    • くらら
    • 2008年 7月 04日

    くららです
    Marioさん
    最初のコメント(2)相手が困惑したら深層意識も全て表にだす
    にずーっと違和感がありました。
    エイトさんが上で書いているようにASは自分の考えを抑え、世界から求められる意思や考えを習得し、それに基づいて動いているように見えます
    しかし賢いASが多数派のパターンを覚え、こういう時はこういう
    とセリフにして覚えても心が伴わなくては相手に届かないということなのです
    気持に鈍感なASはセリフは覚えても多数派がそのセリフにどんな心をこめてるかは気がつかない
    ですから(2)以前に言葉の裏にある多数派の気持を良く読んで、それも含めて学習してください。
    パターン化学習はADHDはしようとも思わないしできないし、偉いと思うのですが。
    エイトさんあての答えは私も納得です
    ASが支配でなく服従にまわったとしても私は満足しないと思います
    例えていうなら野球よりサッカー、サッカーよりテニスのダブルスを望みます
    どういうことか、というと野球は一球一球監督の指示が入る、サッカーは指示がそんなに頻繁に入らない。ダブルスになると誰からの指示もなく二人のあうんの呼吸と自分の意思で物事を進める
    そしてつなぐのはお互いの信頼感だけという状態だになります
    どちらが支配してるわけでも服従しているわけでもない。
    こういう関係がいいなぁ

    • むーん
    • 2008年 7月 04日

    (続きます)
    確かに、私の付き合っていたAS彼は、「(クリニックにとって迷惑な)自己主張をし続けて、それでもクリニックの中に強引に自分を置き続けた」がために首になってしまった・・・自分が身を置く世界が全くつかめていない、融通無碍のない、自分の立場が常に認識出来ているジャイアンからするとアホです。
    でも、AS彼は、(社会人として当然至極ですが)経済的にも価値観的にも、いい意味で「自立」してました。あれで中心志向がなかったら本当よかったと思う・・・
    そういう「自立」性は、私のジャイアン祖母にもジャイアン母にもなかったです。(もちろん、私にもありませんでした。)
    結果的には、私が彼におぶさろうとするので、上手く行かなかったような気もします・・・「おぶさる」ことはジャイアンの図々しさの現れで、どっちもどっちだと感じるのですが。

    • エイト
    • 2008年 7月 04日

    marioさんのほうが誤解しています。私もmarioさんの思う「それぞれの性質や共存の可能性へのコメント」に対して書いています。(元奥様や私ではないと当然承知しています)
    それから素直にmarioさんの「ASはこうである」という考えしか私は読み取れません。
    また他の方がmarioさんのコメントにどう反応しようが、どう受け取ろうが、実生活での事をどう書こうがそれは自由で、ここはADHD、ジャイアンの場なので、それを承知でASは投稿するべきです。ASが(marioさんが)書いたことを自分はどう感じるか、それをどう表現するかは全てこちらの自由です。
    今後、marioさんや他のASのコメントが掲載される場合はジャイアンにとって有用なことだけなのですが、それでもそのコメントから感じることに対して「ジャイアンにとっては(ASは)こういうふうにしかみえない、受け取れない」という感想を私は思ったときに書いていこうと思います。
    閲覧だけしているASの人のためにも参考になるかと思いますので。
    前回の私のコメントに追加します。
    (ASは)それともほんとうの意味で図々しいのでしょうか。それとも発達障害的に正直なだけなのでしょうか。
    ジャイアンも発達障害的に正直ですがもしここがASの場なら自分からコメントすることはありません。やっぱりジャイアンは自分の立場には敏感ですね。

    • エイト
    • 2008年 7月 04日

    度々すみません。
    それから私が感じたのはASは「自分のコメントに対する相手の反応が(自分の期待するものとは)違う」ということにもの凄く敏感ですよね。今回のmarioさん(~ジャイアンが譲歩しなさいとは読まないで~)やwiskyもそうでした。
    「受け取り方が違う」、「正しく受け取られていない」って・・
    相手の受け取り方まで自分の思うとうりに指定するなんておかしいですよね。繰り返しますが、自分の発言に対して相手がどう受け取ろうがそれはその人個人の自由な気持ちなのです。それはこの場だけでなく人類共通です。

    • lune
    • 2008年 7月 04日

    > 「受け取り方が違う」、「正しく受け取られていない」って・・
    > 相手の受け取り方まで自分の思うとうりに指定するなんておかしいですよね。繰り返しますが、自分の発言に対して相手がどう受け取ろうがそれはその人個人の自由な気持ちなのです。それはこの場だけでなく人類共通です。
    ASは,自分のコトバが理解されていない(あるいは自分が受入れられていない)と感じたときに,理解されるように(受入れられるように)努力しているつもりなのだと思います。自分のコトバが足りない(やり方がまずかった)と感じて。
    でも,そこのところをジャイアンは,聞く側の理解の仕方を指図された(すなわち,自立,自由を侵害された)と感じるのではないでしょうか。
    ASがさらにそこのところを誤解であると言い出すと,ジャイアンは「誤解と言われること」自体をまた新たな“理解の(仕方の)強要”と受け止めると思います。
    お互いに,相手がどう感じてそう言っているかがつかめない(あるいはそこには関心がない)からでしょうか。

    • ひまわり
    • 2008年 7月 04日

    >合理的なADHDは非言語的なチャンネルを通常は使用しない。
    ・・・との説明がありましたが、使用する時は、どんな時なんでしょう?
    私は、これまで、ここのやり取りを読んでいて、ジャイアンではない気がしていましたが、
    >「自分を馬鹿にするか」とか「相手が自分の分をわきまえないで偉そうに言っている」などの上下関係に非常に過敏に反応することになる。
    ・・・というところが、強くあったり、
    >正直そうに見えるASが二つのチャンネルを使うから抵抗があるのかもしれない。
    ・・・というようなことを、何度も経験し、何度も腹立たしい思いをしてきたので、
    やはりジャイアンなのかなー?
    それとも、「二つ目の非言語的なチャンネル」を使用している時なのか?考えてしまいました。
    分かっているはずなのに、私は、このASのトリック(二つのチャンネルの微妙に違うメッセージ)に引っかかってしまうのです。
    だから、私はASを完全に切ってしまうしかないのです。
    「騙される」くらいなら、関係を絶ってしまう。
    そこまでしないと、『偉そでもっともらしい語り』に、何度でも振り回されてしまうんです。

    • ちぃ
    • 2008年 7月 05日

    marioさんにお聞きしたいことがあります。
    私がASとジャイアンのコミュニケーションの可能性への興味から書くことを、現実のリアルな問題と重ね合わせて反応されているのが、先の集中砲火ではないかと感じています。
    と書かれておりますが、何に対して『集中砲火』と感じているのかがよく分かりません。
    と言いますのも、以前、別のエントリーのコメントで、marioさん自身下記のコメントをされております。
    私自身の問題はある程度ですが(状況的に)解決してます。その意味でここが必須ではありません。私が書き込みを続けているのは、自分は(ASは)何者か、ADHDなりジャイアントは何者なのか?接点はあり得るのか?って事を知識として知りたい。過去を整理したい
    と。また『ジャイアンとのコミュニケーションの可能性への興味』とも。
    ASとジャイアンのコミュニケーションの可能性への興味から書くことを、現実のリアルな問題と重ね合わせて反応~
    上記のmarioさんのコメントで、『現実のリアルな問題』が話題として出てくるのはある意味当然の事であり、そこを通らねば、
    自分は(ASは)何者か、ADHDなりジャイアントは何者なのか?接点はあり得るのか?って事を知識として知りたい。過去を整理したい
    と言うコメントの実現の可能性は皆無だと考えます。
    『現実のリアルな問題』=『集中砲火の原因』と捉えておられる様にも感じます。
    AS者はこうだから、ADHDなりジャイアンはその辺を分かって欲しい・・・?になっている様な気がします。
    その様な状態では、ご自身が望んでおられる『ADHDやジャイアンを理解する事も接点の有無も、ご自身の過去の整理』もかなり難しいものとなると思うのですが、marioさん自身、どう思われますか?

    • kei_
    • 2008年 7月 05日

    ASが→自分のコトバが足りなかった(やり方がマズかった)と感じて理解されるように(受け入れられるように)努力している・・つもり
    →ジャイアンは、理解の仕方を強要されたと感じる
    →ASが誤解だと言い出すと、また新たに理解の強要をされたと受け取る。
    ここのところ遭遇するトラブルの多くが、このパターンだったように思います。
    ジャイアンACでは、と思っていた私は、この対人トラブル内では、なんと、みごとにAS的!!
    やり方がマズかったのでは?と、言い方や表現方法を変えてみたり・・・。
    「それは誤解・・」なんて言おうものなら、そりゃ、もう・・・(笑)
    相手の感じ方に関心があっても、思いっきり見当はずれだったり・・。
    実は、そろそろ、luneさんに通訳??解説してもらえると助かるなぁ、と思っていたところだったので、理解が進みました。
    1つ書きながら思ったのですが、これが、このパターンの組み合わせではなく、 例えば、多数派との、間柄だとどうなるのでしょうか?
    職場など、それほど近しくない場合は、そこそこのところできりあげ、あとはスルーだと思います。が、親子、夫婦、恋人間などの場合はどうなのか。
    多数派にも、多数派個々のツボにはまれば、トラブルに発展するでしょうが・・。
    「受け入れてもらいたい」要求が強いACも、ASと似たような対人スキルを身に付けているかと思うので、見分けは付きにくいと思いますが。

    • mmm(ジャイアン)
    • 2008年 7月 06日

    わたしもジャイアンACだと思っている者ですが、最近のこちらでのASの方とのやりとりに関してはkei_さんと同じような意見を持っています。
    自分は合理的ADHDも結構強い?いや、でも非言語的コミュニケーションを理解できるし使える場合もある・・・、なんて皆さんのコメントを読みながら考えていました。
    が、AC的が必死になって非言語的コミュニケーションを読み取り身につけようとしてきた結果なのかもしれないですね。
    ASの方が言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションを使用しているとき、多数派の方のそれより分裂している感じがします。(あ、上でむーんさんが真逆と書いていますが、そう、そんな感じです)わたしにしてみれば多数派の裏表よりわかりやすいし、理解しやすいです。
    上にあったmario (AS)さんの書き込みの最後の一文ですが、
    >繰り返しになりますが、ここで私がASの特性を説明することを「ASはこうであるのだから、あなた方ジャイアンが譲歩しなさい」とは読まないで下さい。「ASはこうである」とだけ読んで下さい。よろしくお願い致します。
    これに関してもおそらくジャイアンにとっては他力本願な言い方であり、指示をするな!と感じる書き方だと思います。同じことをジャイアンが言うとこんな↓感じになるのではないでしょうか。
    繰り返しになりますが、ここで私がジャイアンの特性を説明することを「ジャイアンはこうであるのだから、あなた方ASが譲歩しなさい」ということではありません。「ジャイアンはこうである」と書いただけです。よろしくお願い致します。
    (つづきます)

    • mmm(ジャイアン)
    • 2008年 7月 06日

    (つづきです)
    対個人のようにつっこんだ話の最中でこういった口調で話されると私もイラっとしたりします。なので、上記のmario (AS)さんの文章のようなことであれば、
    「mario (AS)さんにとって「ジャイアンが譲歩しなさい」と読まれることがイヤであるから、そうはしないでくれっていう解釈でokですか?」
    みたいな確認をしたりします。これはわたしなりの歩み寄りです。
    ジャイアンにとっては「自分が○○したいから、○○のようにします」という言葉のほうが入ってきやすのではないでしょうか。そのあとに相手に要求したいことを付け加えるような話し方にすれば、ジャイアンが話しの途中で反応し意識がそちらばかりに向いてしまうようなことなく、mario (AS)さんが伝えたいことも伝わるような気がします。
    以前にASの彼(おそらく奇異型)と喧嘩になるとどんどん論点がずれていって、わだかまりを残したまま、エネルギー不足になって喧嘩が終わる・・・というようなことがよくありました。なんでそうなってしまうのか当時はまったくわからなかったので、「喧嘩になってしまうとわかりあえない」ということを理解し合っていました。ちょっと淋しいしすっきりしないけど、そういう形もありではないかなー、と思っていました。
    それと、一番最初のmario (AS)さんのコメントで気になったことが・・・。
    >その矛盾を意識していない(あるいは読みきれなかった)ASにそれを指摘しても、多分どうしようもありません。本人が自分で分からないのだから…
    >それと、ADHDはASのこの非言語的表現を良く読み間違えるのではないでしょうか?多くの場合、全然違うポイントで突っかかって来る印象を持っています。
    「非言語的表現の矛盾を自分では読みきれない」というようにありますが、「ADHDはASの非言語的表現をよく読み間違えている」と言えるのは何故ですか?
    自分では読みきれなくてわからないけど、ADHDに読み間違えられているのはわかる、というのはどういった感じのことなのかなーと疑問に思ったので・・・。

    • ひまわり
    • 2008年 7月 06日

    私は時々、みなさんのやり取りや流れに、ついていけない時がありますが、
    mmm(ジャイアン) のコメントを読んで、やっとスッキリしました。
    ASが『~読んで下さい』と言うのと、
    ジャイアンが『~書いただけです』と言うことの説明ですが、本当によく分かりました。
    そうなんです。
    ASの方は、往々にしてそういった言い方をします。(十把一絡げはいけませんね)
    ASの方は、mmm(ジャイアン) さんの説明で、この違いが分かるのでしょうか?
    私も、『私がこう思って、こう言った』だけで、あなたがどう思おうが、あなたの勝手。聞き違いしても、私が言ったことが全てだから、変えられない。
    ・・・的なことが、AS旦那との間でよくありました。
    AS旦那は、私が言ったことを、自分なりの解釈で、私の言いたかったこととは違った受け取り方をしていた場合、なぜか私を責めました。
    そして、そこから「言った」「言わない」だの、問題点とは関係のない所での、喧嘩が絶えませんでした。
    この逆の場合は、私は「あなたがそう言ったつもりならば、それでいいんじゃないの?」と、
    「私が、勝手にそう解釈した」と思い、「あなたがそう言ったじゃないの!」とはならない。
    いいえ・・・本当は、腹立たしかったりしますが、相手に責任を追及している時間が無駄に感じて、
    自分の中で処理してしまえば、簡単で楽だと思っていた気がします。
    それなのに、AS旦那は、この解決しなかった問題をいつまでも覚えていて、
    同じようなシチュエーションになった時、「お前は、いつも、そうだ!」と言う。
    私にとっては小さな小さな問題であっても、ややこしくて難しい言葉を使って、私の人格までも否定し始める。
    こんな旦那は、はっきりウザイ!そして、この語りに付き合うのが、時間の無駄であり、旦那としての利用価値は金銭面のみになっていった。
    mario (AS)さんのコメントを、解説していただいて、書かれていることの矛盾?がやっと分かりました。
    >自分では読みきれなくてわからないけど、ADHDに読み間違えられているのはわかる
    ・・・これこそ、ASらしさが出ているなーと妙に納得してしまいました。
    このブログは、ASやADHDを理解する上で、本当に重要な役割を果たしていると、感じました。

    • エイト
    • 2008年 7月 06日

    なんだか不可解なASのことを知れば知るほど私は元気がなくなる。これが先生の指すAS被影響症候群(間違えていたらすみません)というものなでしょうか。
    ASは、自分の伝え方が悪いから、あるいは相手の理解力が足りないから、「(相手から)自分の望む返事が返ってこない」と考えるのでしょうか。
    その原因を私が想像すると「ASは自分が世界の標準で平均で正論だと信じている」からで、それが問題の根本にあると思う。ジャイアンは自分が基準で世界は関係ないから、出発点からして全く違う。だからどこまでいっても交わるはずがなくて・・私は遠くから眺めているだけならできるかも。
    ASは世界と、人とつながっていたいのにその不可解さ故に拒まれて、でも本人はその理由がわからないから相手を「見下す」か「苛められた」と被害妄想に逃避するしかないのでしょう。
    例えば盲目の人がいて、ASの人は生まれたときから盲目だから景色というものを知らない。だから見えないことの不自由さをわからないし周囲から「あなたは盲目」と言われても何のことかわからない。私は突然視力を失った盲目の状態で景色というものを知っているから、今自分がみえないことが辛いし指摘されたらもっと辛い。こういう違いなのかと思う。
    私に言えることは、ASの人がここを訪れても自分の抱える困難の答えは見つからないんじゃないかと思う。ASで、苦労して困難を克服しつつある人からその体験談をきくことのほうが有益ではないでしょうか。
    それでも、先生のこの魅力的なブログに、ジャイアンから叩かれても斬られても(注:指摘や訂正や質問してるだけ)参加したい奇特なASの人は投稿すればいい。

    • むーん
    • 2008年 7月 06日

    なんか私はAS彼に全く逆の表現をされましたね・・・「君の耳はあてにならない」「言葉に想いがこもっていない」つまり聾唖と同じだと言うのです・・・これには少なからず傷つきましたけど、皆さんの解説を読んで、少し分かったような気がしています・・・
    要するに、単にノンバーバルなチャンネルが使えないだけでなく、「世界の標準で平均で正論が分からない・・・」こういう言い方をされました。「ADHDに読み間違えられている」というmarioさんの表現ですね。
    しかし、ASの人は逆に言うと、聾唖じゃない記憶つか、自分が聾唖である事の認識はあるんですかね?「自分が読みきれなくてわからないけど・・・」というのは。2つのチャンネルが使い切れてないけど、ある程度分かってるよ、世界はこういうもんだという、優越感みたいなもんでもあるんでしょうか。知りたいです・・・

    • kei_
    • 2008年 7月 06日

    そもそも、ADHDで→これではマズイかもと思いAC的になり→どんどんAS的な対人スキルが身に付いたかも・・・・と思う私です。
    marioさんのコメントに対しては、まず、「自分の気持ちがわからない」場合、他人から、アーダコーダ言われているうちに、ようやく見えてくる・・・ということが、特にACの場合だと度々あって、
    「そうか、私は、こう思っていたのね。」みたいなパターンですが、この際、多数派の中で多く過ごしていれば、当然、多数派の反応の中に自分の気持ちを、見つけ出していくことになるわけで。
    もし、ASの方々が、自分の気持ちがわからないまま、でも、多数派とうまくやっていこう、とするならば、多数派の解釈と違う捉え方をするジャイアンにたいして、
    「それは、ちがうんだ!!」と言ってしまいたくなるのではないでしょうか。
    多数派以外の家族で育ったために、AC的になった人が、その対人スキルを多数派に使った場合、
    「なんで私がこう言っても、相手は腹を立てないの?」とか「私がこう言っても、大丈夫な人もいるんだ」などの、フシギな??体験をするのと、同じように。
    多数派の対人スキルに「口論しないで相手の意見に同意しない」というのがあるようですが、ジャイアンはこれでは、建前のうわべだけのうすっぺらなつきあい、になってしまうんだと思います。
    そして、AC、(もしくは一部ASも?)は、そのスタンスのほうが、肩の力を抜いて、楽な気分でキーボードの上で指を動かすことが出来るのかも知れません。
    特に、ACはなにか否定されたとき、(そう自分が感じたとき)、まるごと自分を否定されたように、思ってしまいがちなので。
    でも、このサイトでしか、経験できないことがAS, AC, ADHD それぞれにあると、私は思います。

    • ひまわり
    • 2008年 7月 06日

    mmm(ジャイアン)さん
    『mmm(ジャイアン)』と、呼び捨てにしてたことを、書き込みを見て気付き、驚きました。すみません。
    私は旦那の事を、『ウザイ』なんて言ってますが、
    実は、三女が旦那にそっくりなので、
    本当はすごく辛かったりもしています。
    mario (AS)さんのコメントは、意味不明で難しかったりして、まさに旦那そっくりだ!と感じたりしていますが、
    みなさんの解説(解釈)を読んでいくと、なんだかASの人って大変なんだ、そんなに一生懸命必死に生きなくたっていいのに・・・と気に毒になったりします。
    ADHDの立場からすれば、
    >「非言語的な表現に振り回されることが多い」と自覚することは重要だろう。
    ・・・ということになるのでしょうが、
    ASの方は、
    『自分で納得できないものを深層意識下に押し込め』たり、『相手の反応に困惑したら、自分の深層意識も掘り返して全て言語化』したり、『自分深層意識を読むのはとても辛い作業』と自覚したり・・・・・
    なんだか、こんなに難しく考えて、自分を自分で苦しめなくていいように感じます。
    こんなに、考えて人と付き合ったって、所詮分かってもらうことは難しいように思います。
    誰かも書き込んでいましたが、
    ASから見て多数派の人は、きちんと説明することで、自分(AS)のことを理解してくれているように思っているかもしれませんが、
    実際のところ、多数派はADHDほど反応しないというだけで、
    つまりは、多数派の人は理解できなくても、相手にしない(ほどほど)という関わり方が上手いだけだと思います。
    ADHDである私は、始めから自分が馴染めないことを知りつつ、社会へ出て行きます。
    けれど、ASの方は、自分が馴染めないとは思えず、理解が得られない世界(人)が理解できず、社会を敵に回すような方法を取る。
    三女はまた不登校になり、自分を100%出せる家庭で、なんとも平和に暮らしています。

    • mmm(ジャイアン)
    • 2008年 7月 06日

    >ひまわりさん
    >『mmm(ジャイアン)』と、呼び捨てにしてたことを
    あ、気にしないで下さい。
    わたしもミス多いので!

    • lune
    • 2008年 7月 07日

    今さらですが,ずっともやもやしていたことのひとつについて。
    少数派として自覚のあるひととないひとで,他者から認知される物言いや振る舞いに違いはないのでしょうか。
    ここのコメントを書かれる皆さんは,なにがしかの自覚(ジャイアンだとか,ASだとか,どれだかわからずあいまいだけどどうも少数派みたいだとか)があると思いますが,皆さんがそれぞれ想定する相手方(ジャイアンであれ,ASであれ)は,自覚のあるひと?自覚のないひと?どちらも区別せず?
    やり玉に上がりやすいのは,自覚のない(つまり当然のごとく自分を多数派の一員だと見なしている)ひとたちのような気がしたり,ああそんなこともないか,自覚なんてあってもなくても同じかもという気がしたり・・・

    • むーん
    • 2008年 7月 08日

    私の場合、想定してる相手方は皆自覚なし(AS,ジャイアン共に・・・)です。
    ただ、今日、AS彼との問題点を整理しに(終わった話ですが)友人と喫茶店で話してたら、昔のマイノリティ=オタク、にありがちなカップルだったような気がする・・・と言われました。今、ガンダムファンとか当たり前ですけど、もうちょっと一昔前の、差別されてた頃の話です。
    そういえば、家の父母カップル(AS&ジャイアンと想定してます)は、昔インテリゲンツィアという言葉があった頃の同志カップルでしたね・・・
    なんかアスペとか、ジャイアンて、その時々のインテリのマイノリティに沢山生息しているような気がします。そういう意味では、少数派の自覚ってある程度あるんじゃないでしょうか。(またもやluneさんの疑問の答えには全然なってませんが・・・)

    • mario (AS)
    • 2008年 7月 10日

    皆さんのコメントに逐一返事をしたくて、それを我慢している毎日ですが、その事を考えていて改めて分かった事があります。
    私は(ASは?)世の中を均質にしたいんですね、きっと。自分を世界に馴染ませたい→自分の主張を抑えて、世間に要求される行動を取る。自分の持っているイメージと同じものを周囲にも持って欲しい→主張が強くなる。誤解されていると感じる→何としてでも誤解を解かなければ。
    自己主張が強くなるか抑えるかのポイントですが、分かってもらえそうかどうかであったり、自分の一部と感じているかどうか(愛着の対象であるか)だったりしそうです。多分、ここの皆さんにはASについて分かってもらえる可能性を感じている(一部のジャイアンには余計なお世話ですね、ごめんなさい)。
    後、私は(ASは?)世間にしろ自分にしろ、ある程度分かっていると思わなければ、怖くて世の中に出て行けない。ADHDのように「自分は世の中に馴染めない」と思っていたのでは、世の中に出て行けないと感じます。自分が盲目だと知ったら終わりです。正にそこから一歩も動けない。だから私は必死に自分に「世の中が見えている」と言い聞かせてます。それがADHDに迷惑でも、ASが世の中に出るにはそれしかないと思う。後は社会で揉まれて、社会的スキルをどの位身に着ける事が出来るかだろうと思います。

    • むーん
    • 2008年 7月 10日

    marioさん、何となくASの苦痛の原因とゆうか心境が垣間見えたように思います・・・
    『ネズミと怪獣とわたし~やってみよう!アサーティブトレーニング~』パット・パルマー著、原生林刊をご存知ですか?子供向けの本ですけど、非常に素晴らしい。暇でしたらご一読を。大好きな本です。

    • エイト
    • 2008年 7月 10日

    marioさんのコメントからASの本質を想像している私です。
    少し説教くさくなり申し訳ないですが・・
    marioさんが納得してやって良いのは>自分の主張を抑えて、世間に要求される行動を取る
    ここまでだと思います。
    >自分の持っているイメージと同じものを周囲にも持って欲しい
    この考えはNGです。相手が職場の人でも友人でも家族でも。無視か攻撃されるだけだと思う。同じASか依存したいジャイアンには通じるかもしれませんが、それも時間の問題で否定されると思う。
    ASが自分の価値観を人に押し付けることは罪だと思う。
    それは、ジャイアンが人に依存したら自分への罪になるから駄目、ジャイアンが人を支配したら相手への罪になるから駄目ということと同じ。
    ジャイアンが自分の罪について真剣に考えているこの場所で、ASは変われないから自分の価値観を共有して欲しいと態度で示すことは門前払いの行為に等しいと私は思う。
    世の中が見えていると思うのは自由。
    でもどういう風に見えているのか周囲に確認はしないで欲しいのです。

    • むーん
    • 2008年 7月 10日

    (補足いたします)
    AS彼を見ていて思ったんですが、自分を世界に馴染ませたい→自分の主張を抑えて、世間に要求される行動を取る。とき、回りからは実は「従順なネズミ」のように情けなく見えていると思います・・・
    逆に、ASが自分の持っているイメージと同じものを周囲にも持って欲しい→主張が強くなる(愛着の対象に対して)時、その相手からは恐ろしい「専制的な怪獣」のように見えていると思う・・・
    誤解されていると感じる→何としてでも誤解を解かなければ。これでは納豆。
    別に、自分の主張を抑える必要はないと思いますが(場によってはです、)自分のイメージと同じものを持って欲しい・・・は駄々っ子です。誤解を解く必要も、(’ここ’は別ですよ)普段はNG.「言いたい奴には言わせておけばいい」んです・・・
    私自身、上記の行動は取れていないんですが、一応「見えている」多数派世間の常識としてあえてカキコしてみました。きつくてすいません。

    • エイト
    • 2008年 7月 10日

    marioさんのコメントから勝手にASを想像したり不思議に思ったりが止まりません。
    marioさんには不愉快かもしれないけれど書いてしまいます。すみません。こういう私のコメントも共存への可能性の(ASにとって)参考になると思ってください。
    「世の中を語り尽くしたい」「人にも教えたい」という普遍で立派な原理をmarioさんは持っているのにもかかわらず、必死に自分に「世の中が見えている」と言い聞かせているのは何故なのでしょうか。
    marioさんは、marioさんのその原理を信条にして堂々と世間をわたっていけるのに、と思います。そのための原理じゃないのでしょうか。
    もしかしたら「語り尽くしたい」のはたてまえで「必死に言い聞かせる」のが本音なのでしょうか。
    ジャイアンの矛盾はエゴと合理性で説明がつきますが、ASの矛盾にはどういう意味があるのかわかりません。
    marioさん自身は矛盾しているとは感じていないのでしょうか。
    私からみるとASの人は謎だらけです。

    • のら
    • 2010年 9月 20日

    エイトさんのコメントを読んでいてもたってもいられなくなり、多分ASであろう自分にASの気持ちを説明させてください。私にとっての生命線って人とのかかわり合いと、自分を通して世界(周りの人達)を幸せにしたいというような使命感だと思います。自分の幸せは人とのかかわり合いと使命を達成するということなので、個人的な結婚するとかいい会社に入ってバリバリ稼ぐとかは二の次だったりします。(そうは言っても恋愛は別で自分をわかってくれそうな人にはすごい執着します)なのにASの人は感情を扱うのがすっごく苦手で自分の感情も人の感情も突き放してしまいます。人付き合いって当然感情を無視して続かないから、ASの人は感情(特にマイナスな感情)を受け入れるのがつらいから、人付き合いをしたい自分と感情を扱うのが苦手な自分で矛盾してるんだと思います‥。自分は一人でいると置物みたいになってて人間らしい感情がわいてこないことがよくあります。ロボットみたいだな〜って淋しいです。今書いてて思ったんですけどASって多分普通の人なんです。自分のマイナス感情を受け入れるのが極端に苦手なだけなのかな‥?人を幸せにするには自分の中の葛藤もある程度なくなってないと大人として振る舞えないのに、自分と向き合えてないです。悪い感情、自分がもつことにすごい罪悪感があります。考えないと人と付き合えない、人と分かち合うことが何もないとか思うから人と接するとすごい疲れます。ちょっと希望がもてるのは笑いの感情なら人と分かち合える!って最近思いました〜(≧ω≦)
    笑いを突破口に人と向き合いたいです!

    • エイト
    • 2010年 9月 20日

    のらさんの思うこととジャイアン自分の思うことってやっぱり180度違うんだな~と感じました。
    ASの人は感情を扱うのが苦手なのですね。
    普段私は先生が”ファンタジーと楽観主義”で書いたとおり、根拠のない超楽観主義状態でなんとか暮らしていますが(現実には常識的な人から見たら、もし失敗したらどうするの?この人馬鹿じゃん?的な・・)。
    自分の一番の苦手は、”私にとって不都合な現実”です。
    人に謝罪したり、自分が損をしたり、悔しい思いをしたり、とにかく自分の立場がマイナスに置かれるその状態。
    できれば逃げたい、丸投げしたい、責任取りたくない、誰かに代わりに考えてもらいたいと本気で思いますもん。
    (余談ですが、そんな状態のジャイアンを相手にするときは賛成も反対もしないで黙って聞くだけにするのがお互いのためだと思います)
    でも現実には私の身代わりを引き受けてくれる人なんていないわけで(ジャイアンってほんとうに図々しいんです)、それならば控えめにと人に相談したところで上手くいかなかったら恨んだりするのがオチなので、結局全て一人で考えくちゃいけない・・この歳になってやっと悟ったという有様です。
    人といるとどうしても頼りたくなったり丸投げしたくなるから、だからこそ極力人と交わらない、人をあてにしない、そんな感じです。
    とても孤独なようでも、実はそれが一番心地いいのです。
    趣味のことで人と関わることはありますが、あくまでも情報交換にすぎません。
    人と関わっていたほうが安心するASの人(でいいのか?)と、一人のほうが安心するジャイアン、って真逆じゃないですか~。

    • のら
    • 2010年 9月 21日

    そうなんですね!ジャイアンの人は一人でいることに安心するんですね。エイトさんのコメントを読んでやっぱり私はASなんだろうなぁ‥と思いました。(ヤンバル先生のメール相談ではジャイアン(ASの可能性あり)、通院してる先生には多分ASだろうと言われてました)そしてやっぱりジャイアンの人って、人といると自分が苦しいから人から距離をおこうと考えるところとかがすっきりとしてて自分に忠実に生きてる感じで個人的には大好きです。(私は淋しくって離れることもできないし、みんなの輪のなかに違和感なく溶け込むこともできないんです。落としどころはどこなんでしょうか〜(T_T))
    ジャイアンの人は、人と一緒にいると頼ってしまったり丸投げしたくなったりして一人でいるほうが安心なのですね。
    自分はと言うと、人と一緒にいたいのは山々なのに人の感情が手に取るようにわかる気がして辛くなったり、かと思えば人の気持ちが全然わかんなくなったり、自分と人の感情の境界線?がわからず混乱してたり、未解決の過去のトラウマがどこに埋まってるのかわかんない状況だったりして泣く泣く一人でいるのが現状です‥本当は人と一緒にいたい人だから今の状況はかなりつらかったりします(T_T)
    でもこうやってコメントを通じてだと自分をたもったまま冷静にコミュニケーションとれるってわかって嬉しいです。
    思ったのですがジャイアンの人は責任感が強くて(自分がとった行動が現実にどんな結果になったか非常に真面目に受けとめているイメージがあります)自分はこうありたいっていう意志がちゃんとあって人間らしいところがかっこいいと思います!
    私は人としてこうありたいって気持ちもあるんですが人に受け入れられたら何でもよくなっちゃうところがあります。人なしでは淋しくってとても生きていけない感じ‥。自立とはほど遠いです〜(´ω`)
    困難な脳?を持ったもの同士、障害は違っても何か心の奥深くでは繋がってる気がしました‥(*´∇`)
    エイトさんありがとうございます!

    • エイト
    • 2010年 9月 22日

    のらさん両方の診断があったのですね。
    「感情を扱うのが苦手」という感覚はよく分からないですが、>人なしでは淋しくってとても生きていけない感じ、ってすごく理解できます。
    私も若い頃、不安が強かったときには「人とつながっていたい」と強く思いました。
    もし、私がもう少しマイルドな親に育てられていたら、人とのつながりを今みたいに排他的じゃなくてもっと大切に思うのかもしれないです。
    そしてのらさんの文章ってストレートでわかりやすいのでジャイアン的に親近感があります。
    先生が、受動型?ASと依存型ジャイアンは似ているとありましたが、こういうようなところなんですね~。
    先生の記事をよんでいてその時はピンとこなくても、2~3年して「あ、こういうことか~」と妙に納得したりします・・
    私が鈍いだけかもしれないけど、ゆっくりでも探求というか、自分で考えていくことって大事ですね!

    • のら
    • 2010年 9月 24日

    自分が秘かに長所だと思ってたところを人から誉められたのは何年ぶりだろう‥(T_T)
    エイトさんありがとうございます‥。私もここにコメントされてる人達は一緒に頑張る発達障害仲間って感じでめちゃめちゃ親近感もってます‥!
    現実をよく分からないまま多数派とは違う認知の仕方で社会にでて自分の心を守りながら、人を傷つけたり自分も傷ついたりしながら生きててジャイアンの人もASの人も心細くないわけないですよね(´ω`)
    人とつながっていたい!って苦しいほど感じています。。
    そう、私は多分受動型ASだと思うんですが(いとこに自閉症の子やジャイアンの子がいるのでジャイアンよりの受動型ASでしょうか?いるのかな?)ASが感情を扱うのが苦手なのは人の感情がどうしてその感情になったのかわからないからかなぁ。表面的に人が笑ってたり悲しんでたりするのは分かっても、なぜ笑ったり悲しんでるのか分からなかったりします。ふだん自分の感情を無視するようにしか生きれなくて、理性だけに頼って生きてる感覚です。
    私は周りに人がいないとロボットみたいになっちゃうから生きてる意味を感じてたくて人の近くにいたくて、出来れば人の喜ぶ顔をみていたいです!
    ちょっとずつ障害を理解していくことって大切ですよね!ヤンバル先生のこのブログでこれからも勉強させてください(≧ω≦)

    • エイト
    • 2010年 9月 26日

    今思えば、物心ついた時から私の周りは感情むき出しの人ばっかりだったからな・・
    感情を受け取ったり、勝手に想像してみたり、その人がどうしてそう感じるのかとか、ごく自然に身についたように思います。
    そしてのらさんとは逆に、理性はほんのちょっとで感情優先で生きていたと思います。
    人が近すぎるとどうしてもその人に期待したり執着したりして(はい、依存です)、そして思いどおりにならなかった時のダメージって、それはそれは酷いものです。
    憎しみや怒りや悲しみのマイナスの感情と自己突っ込み、ドロドロしたものが自分で処理しきれなくて・・ほんとうに打ちのめされる感じ。
    結局、自分だけで考えて自分で行動して自分で責任とるっていうのが一番ラクなんです。
    (なんだか、繰り返し同じことばっかり書いてますね、すみません。)
    のらさんのように感情を意識しにくいとそれはそれでとても苦痛なのですね。
    私にはそれが羨ましくも思います、少しでいいからその冷静さを分けて欲しいって。
    ”笑顔の共有”いいですよね~。
    趣味で知り合った人でいつ会っても微笑んでて怒った顔なんて見たことないんです。
    確実に癒されてます!

    • のら
    • 2010年 9月 27日

    エイトさん(私こそたびたびごめんなさい。)私も人が思い通りにならなかったときのダメージすごくよく分かります!私も自分の中のマイナスの感情と、こうあらねばならないのに!みたいな自己突っ込み(?)を処理できないです‥(T_T)その時は割りと冷静なふだんとうってかわって、深い絶望感やたくさんの感情に圧倒されて自分で自分を傷つけそうになったり、また人を傷つけるんじゃないかとすごくこわいです。。それで自分を制御できなくなるのがこわいから、人を好きになればなるほど、その人から距離を置いてます。(ごめんなさい。こんな風に書いて初めて自分ちっとも冷静じゃないって気づきました。)
    エイトさんは小さい時、周りの方の様子を見ていて自然に感情を受け取ったりすることを覚えたのですね。私(AS?)は感情をふだんあまり意識できないから人が笑ったり怒ったりするたびに「!」っていちいちびっくりしてます(>_<) 続きます

    • のら
    • 2010年 9月 27日

    思うのですがASの人は自分が確立できてないから環境や人と溶け合うようにしか関係もてないんですね。。(あなたは赤ちゃんみたいと昔、職場の人に言われました)ASは自分の感情を意識するのが苦手でもみつめる努力をして、自分がどんな人間なのか、理想じゃなくて等身大の自分を知ってないと大人として人と向き合えないと思いました。
    ASの人は人と人との関係に興味があり、その関係を大事にすることはできても、その向き合っている人がどんな人か驚くほどわかってないときあります。人と関係をもったら2人の関係ではなくその人自身を認識して大事にする努力をしないとと思います。ASだから受け身にしか生きれないなんて私はやだです(>_<)できてないのに生意気いってすいません! ジャイアンの人みたいに自分をしっかり持って、自分の責任についてしっかり考えて、自分は自分と行動してる姿が私には本当にかっこよく思います! あと私は完璧主義なところあるから人だし出来ないこともあって当たり前だ〜くらいの適当さも身につけたいです‥(*´∇`) エイトさんの知り合いの方怒ったところみたことなくていつも笑顔なんてすごいですね!それは癒されますね〜(≧ω≦)私は自分家の犬を無理やり笑顔?にして(手でひっぱるんです)癒されてます! 長々と失礼しました〜。エイトさんありがとうございましたぁ\(^O^)/

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP