ADHD関連

他者へ③「意味」とは?

 さて「自分」とは「時間的に継続している何か」であり、周囲の人の行動を予測するために時間的に変わらない「責任」のイメージができるところまで分かったとしよう。

 さて話は「意味」に移る。「意味」と「利益」の違いは、「利益」は過去にあり、「意味」は現在にあるということ。もうひとつは、「意味」は「ほかの人にとっての意味」であるということだ。

 自分が業績を上げたことは上司にも「意味」がある。自分の業績からの直接の「利益」は上司には生じないが、部下である自分へ及ぶ上司の「責任」を考慮すると、「意味」の意味がイメージできる。

 「意味」とは第一義的には「責任」が存在する周囲の人にとっての「意味」である。意味の世界が広がった後は「(利益と異なる)自分自身への意味」もあり得るが、はっきり「利益」と区別されるのは周囲の人への「意味」の場合だ。

 夫としての自分の行動には夫自身の個人的な「利益」とはまったく別に、24時間妻の方から見た何らかの「意味」があり続けている。夫としての妻への「責任」を果たし切れていないと、妻の側の「意味」に不満が生じる。

 ここへ来て「並んで飛ぶロケット」のイメージがやっと登場する。ロケットは並んで飛び続けており、並んでいることが「現在」、ここまでの軌跡が「過去」、これから飛ぶコースが不可知の「未来」だ。

 親だろうがパートナーだろうが、依存型ジャイアン的な超個人主義で行けば、並んで飛び続ける必要、必然性はまったく無い。ここで「親やパートナーが並んで飛び続けている」ことは決して「当たり前」ではなく、「意志に基づく選択として離れて行かない」ということだ。

 ある依存型ジャイアンのケースは、「母が好き勝手に離れて行かないで並んで飛び続けている」ことの自分にとっての「意味」を理解した。この「意味」こそ、無味乾燥な「利益」に代わる人生を生きる活き活きとした行動の源、モチベーションの根拠足りうるのだ。 


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コメント

    • フラジール
    • 2009年 4月 21日

    先生、内容が難しいです。
    私はピンと来なかったのですが、ASパートナーは似たような事を言ってました。
    自分には離れていく選択は出来るのですが、周りが離れていく事を理解できないというか、裏切りと感じるといったような。
    私自身は周りが「友達だから」「兄弟だから」という、本人たちにとっては疑問が生じる余地がない理由で、個人的な問題を持ち込まれ手伝わされる事で、好き勝手に並んで飛んでいる事を強要されているように感じていました。
    「私はADHDなの」という説明は理解が欲しいのではなく、私に並んで飛ぶ事を強要しないで欲しいという気持ちからでした。
    やっと失速も墜落も思うままです。

    • kei_
    • 2009年 4月 22日

    難しいですね。
    なので、自分がどこまで理解できているのか、分からないままではありますが・・・。
    今まで社会に出て(対人関係において)感じていた、重圧というか、プレッシャーのようなものがどういうものだったのか、、を考えるヒントをもらえた気がします。
    一つ前のエントリのコメントになりますが、
    昨日の発言と今日の発言の一貫性・・・
    私の場合は振り返えると、発言というか(その内容というより)、親密感、距離感がバラバラな感じがしていました。
    なので相手は、前回はとても近くに感じたのに今回はやけに遠い・・→不安や不快。
    結局、「よくわからない人」「付き合いにくい人」になっていくのでは・・。
    これが高じると、「無責任」「いい加減」に発展していくのかもしれません。
    もし、無作為に「親密が」一環していたら、「依存」でしょうし・・・(笑)。
    知人・友人、先輩・後輩、上司・同僚・部下etc・・・
    これらは、引きこもれば回避が可能かもしれませんが、結婚していれば、
    配偶者との関係において、「責任」と「意味」はついてきます。
    それも「24時間」!! ガガーーン(笑)
    並んで飛ぶロケット・・・
    たまに、あさっての方向に飛んじゃ~ダメですかね、、。
    思えば、スポーツで「一瞬に生きる」が味わえていた時は、幸せマーク花盛り!!になっていました。
    ここ、私の人生にとって大きな居場所だったんですね~。
    「昨日の自分と今日の自分が違っていてもいいよ。」
    そう自分に言えただけでも、緊張感が緩む気がします。。
    結果、気持ちが楽になれた分、肉体的にも並んで飛ぶ飛行時間が5分か10分くらいは長くなるかも~~??(笑)
    (たった↑これだけ??!)

    • のりまき
    • 2009年 4月 22日

    「利益」は過去にあり

    先生、このイメージがよくわきません。利益は現在、未来にもあるような気がするのですが、、、、先生のおっしゃる「意味」の意味は、いわゆる「情」「信頼」にあたるのでしょうか。これはわかる気がします。これまで一緒に飛んできたんだから、これからも一緒に飛んでみよう。利害関係を抜きにした、人との歴史を大切にするというこの感覚は、時間の感覚が一瞬一瞬だと確かにわからないでしょうね。
    質問なのですが、依存型の人は、自分が言うことを自分にいいように二転三転させている、ということに対する自覚はあるのでしょうか。自分が「卑怯だ」という自覚はないにせよ、精神疾患をわずらっているわけではないのですから、自分が子供のような嘘をついている自覚はあると思うのですが、、、
    依存型の人は、そのまま大きくなってしまったわがままな三歳児、という印象があります。ただ体と責任は大人並みに大きくなっているので、破壊力がありますが、、、

    • mican
    • 2009年 4月 23日

    直球として、入った気がしています
    とはいえ、まだ、解って無いのですが・・
    真ん中が抜けているので、もしかしたら、完全に外れているかもしれません。
    他者が抱く・・私への感情を”感じ取っているつもり”でしたが、それが勘違いであった可能性があると理解しました。
    まずは、夫からの優しさ、親切、【物質的】なものは実感できるのに
    私は”夫の心”を実感できなかったのだと、気がつきました。
    言葉で書くと、夫との間に深い溝があるようですが
    普段の生活ではいかにもADHDっぽく、このような気持ちはスッカリ忘れていて、お互いに楽しく過ごせます。
    生きていれば当然起こるようなトラブルがあると、突如・見捨てられ不安に陥り、
    ”やっぱり、無理をして私なんかと一緒にいるのだろう”という考えが頭をもたげました。
    どこかで一部、それは24時間【一緒にいてくれて、ごめんなさい】という気持ちが取れませんでした。
    ”物理的に何か得< 利益>があるから?”と何十年もの間考えました。
    でも、これでは理屈が通らない事もあり、
    面倒を被って、何故私と一緒にいるのかが説明できません。
    そこで、敢えて別れるのが面倒だから、腐れ縁だからと考えるようになりました、
    最近になって、ASの特徴を学び、私では無くても固執するタイプで、私の価値には関係なく私に固執しているのかもしれない。とも考えました。
    なので、本心を知りたくて何か手掛かりを得ようとしつこく聞かずにはいられませんでした。

    • mican
    • 2009年 4月 23日

    続きます・・・
    とにかく自分に自信が無いので”夫にとって、私と居る利益”を探しました。
    結局、どんな言葉を言われても、物資的に実感しても
    心が感じ取れなかったので見捨てられ不安が解消でなかったのだと思います。
    私といる夫の理由< 利益>を追求し、夫にとっての不利益を可能な限り、未然に取り除き
    “私から離れない”ために努力してきたつもりでした。
    夫から不利益を得る時は「逆に私は一緒に居たいのか?」と自分に問いただしました。
    自分が居たいと答えを出せば夫の問題を許容しているつもりになり、
    また、我慢が出来ない臨界点を超えると”もう、どうでもいい”状態になって私が爆発することもあり
    それでも、夫が離れないことに疑問を抱きつつ、実感無き安心も得られ、
    見えず、聞こえず、伝えられずに訳も解らず生きてきたと思います。
    そして結果的に、これが傍から見たら私の思いとは裏腹に映っているだろうと今・想像しています。
    >「親やパートナーが並んで飛び続けている」ことは決して「当たり前」ではなく、「意志に基づく選択として離れて行かない」ということだ。
    ここで、泣きました。
    ロケットは意思があってそこに居る。
    それが意味なんですよね。
    離れるのも意思だし、そこに居たいからいる。
    このことが本当だと思えるとは自分でも驚きです。
    この言葉に泣けて仕方ありません。
    夫にとって未来に利益が無くても構わないということは、
    私にとっても同じ事で、現在進行形で”意味”があるということですよね。
    イメージはまだ不完全だと思います。
    身内からもっと外へ広げて他者と考えるとまだ解らないままです。
    もっと、じっくり考えて知ってみたいです。

    • mican
    • 2009年 4月 23日

    幾つもすみません。
    のりまきさんの意見で、どうしても思い出し事があったので書かせてください。
    >依存型の人は、自分が言うことを自分にいいように二転三転させている、ということに対する自覚はあるのでしょうか。
    というところなのですが・・・以前、振回された友人に対してこれが最大の悩みでした。
    (自分のことについては”胸に手を当てて考え中”なので、ちょっと棚の上に置かせてください)
    私を振回す友人に対して卑怯だ、嘘を言っていると思い、それが私の怒りの根源でした。
    でも私の友人がジャイアンであるならば自覚は無かったと思います。
    二転三転のところは全て分断されていて
    友人にとっては【別物】だったのではないかと思っています。
    コロコロ話を変えているなんて、露とも思いもしてないと今になって思います。
    縁が完全に切れてから、何年も経って「明日会う?」と普通に連絡が来ました。
    その上、私の状態は完全に眼中には入ってなくて、気にする様子が全くありませんでした。
    それまでの壮絶な問題は全て忘れているようで、問題には一切触れずに、まるで何も無かったような言葉に
    私は呆れかえりました。どこまで、ご都合主義なのかと・・当時は思いましたが・・
    友人にはあのときはあのとき。今は今。なのでは・・・
    相手の状態が解らないか、気にならないか・・・その都度、自分の都合に合わせて話をした結果(言った事を箇条書きにして繋げると嘘になる)なのではないでしょうか。
    なので、嘘を言っている結果になってしまうという自覚は無いのではなかと思うのですが
    どうでしょうか・・・

    • kei_
    • 2009年 4月 23日

    夫がなぜ私と一緒にいるのか・・・
    私も考えたことがありました。
    ぶっちゃけ、聞いたこともありました(笑)。
    結局、双方共々、自己評価が低かった、に過ぎないのか??
    しかし、結果として私が自立の道に目覚めたきっかけは
    私の「限界」(これを不利益と呼ぶのか!? 笑)のおかげでもあって、
    今にして思うと、これがなければ「依存」のまま??(まぁ、相手あってのことなので、先方の「限界」もあるでしょうが 笑)
    勝手に昨日の自己コメントの続きなんですが、
    並んで飛ぶロケットのイメージ。。
    これだとどうしても、
    >たまに、あさっての方向に飛んじゃ~ダメですかね、、。(自己コメント引用)
    ・・・につながってしまいそうなので、
    よく言われている
    「二人三脚」と「並んで歩く」の違い
    ・・・でイメージし直しておくと、大丈夫かな、、と。
    二人三脚だと、
    「最初の一歩は、アナタ右から、ワタシ左ね。」とか
    「いち、に、いち、に・・・リズムを合わせて~♪」などと、、。
    それに引き換え、並んで歩くだと、
    右足からでも、腕組してても、バンザイしてても
    一緒に歩ける・・・。
    一貫性がないから、その時々で出す足違うんですよ~、きっと私(笑)。
    お互いコケずに歩いて行けたらそれでOK!という感じで・・・。
    これならかなり、気がらくかなぁーーと、思います。
    最近のキーワードは、この
    「ラク~な気分」だったり、「緩む」感じ。。
    こうなれることで、適応範囲が広がりそう、、。
    ただそうなると、相手の強迫観念もそーとーなものだった!!とみえてくる部分も増えてきましたね(笑)。

    • kei_
    • 2009年 4月 23日

    追記
    スイマセン、つづき・・・
    それと、「一瞬に生きる」
    これを、どこかで確保しておくこと。。
    単純~~、なんですが、そういう歌詞の曲を
    1、2曲聴いておくだけでも、けっこう違うことに
    気がつきまして(笑)。
    やっぱり、ここは外せない箇所っぽいです、自分には・・。

    • のりまき
    • 2009年 4月 30日

    micanさん、
    >相手の状態が解らないか、気にならないか・・・
    >その都度、自分の都合に合わせて話をした結果
    >(言った事を箇条書きにして繋げると嘘になる)
    >なのではないでしょうか。
    >なので、嘘を言っている結果になってしまうという
    >自覚は無いのではなかと思うのですが
    >どうでしょうか・・・
    もし先生のおっしゃるように、依存型ジャイアンはそこまで瞬間にしか生きられないのだとすれば、「嘘」というようには捉えていないかもしれませんね。私も長い時間をかけて相手の言うことや態度を観察してきたのですが、(あ、、今ちょうどいい言い訳を思いついたな)というのがなんとなくわかるようになりましたよ。そうすると、頭の中が完全に塗り替わってしまうんですね。
    ただ、彼女の場合は、他の人には「瞬間に生きさせない」んですよね。水に流せるタイプの人ではなかったです。そういう意味では筋が通って無かったんです。

    • mican
    • 2009年 5月 28日

    のりまきさん
    随分と時間が経ってから応えてしまって、すみません。
    自分のコメントを読み返していたのですが
    私はまた「部分」だけを捕らえて発言してしまいました
    のりまきさんも
    >「嘘」というようには捉えていないかもしれませんね。
    おっしゃているように、はたまたこれを読まれている方たちも
    その部分は解っていて、”嘘ではなかった・・だとしても”これ以降の全体像を話していたのかもしれません
    これは余談ですが実は私自身、のりまきさんと同じく
    友人を二度と受け入れませんでした。理由は同じような事だと思います
    私が人と話していて話しが噛みあわなくなったり
    「?」と思われているような感じの状況に陥るのは
    こういった時なのかもしれないと思いました。
    話しから反れて、「部分」に拘ってしまって、
    知っていることをただ言ってしまう。
    だから何?のような発言をしてしまうのだと、自分で気がつきました。
    意味の解らない発言だったと思います
    すみません。

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