ジャイアンは他者を感じられない。「決定権」と「力関係」への直感的な認知はあるが、競う相手でさえ「人間」として感じられては居ない。
依存型ジャイアンの場合はその「一瞬に生きる」という認知の特徴により、さらに他者を認識することが困難となる。人は見えていても、写真のなかの登場人物のように「状況の一部」でしかなく、生きた他者のイメージ自体を説明する必要がある。
私が治療の中で実際に試みている「他者のイメージ」を試みに書いてみよう。
①「現実の継続性」のイメージ → ②「責任」のイメージ → ③他者から見た「意味」のイメージ → ④並んで飛ぶロケットのイメージ という段階的な説明を時間をかけて行うと、依存型ジャイアンの人の認知が変わり、その結果行動が変わるのだ。
さて依存型ジャイアンの世界は、「結果の利益」のイメージだけがはっきりしている。だから最初の説明は、全ての説明をメリットに結びつけることになる。
①「現実の継続性」を説明することが一番難しい。まあ依存型ジャイアンで治療に結びついている人は対人関係で何らかの問題を抱えていることが多いので、その説明の中で、「周囲から継続的に同じ人の行動とみなされている」から困難が生じるのであると説明する。
つまり「この間ああ言ったのに今度こう言ったのでは理解されない結果になる」。これは理解されなくて嫌われたりして不利益だ。というと辛うじて「継続性」のイメージにはたどり着ける。
「この一瞬さえ過ぎてしまえば全ておわり」「過去は一切振り返らない」依存型ジャイアンの世界では、究極の瞬間的な場当たり的選択が行われ、その結果依存型ジャイアン本人には時間的継続性のイメージ自体が存在しない。
「責任」の前に、「継続性」自体のイメージから送り込まなければならない。それほど依存型の生きている世界は遠い場所にあるのだ。
「他者からは、あなたは昨日のあなたと今日のあなたは同じ人として認識されていて、昨日発言したことと今日発言することが首尾一貫しないと、ちゃらんぽらん、優柔不断、うそつきなどと非常にマイナスに評価されて不利益なことになる」と説明する。
「信頼されない」「無責任」「自分の考えが無い」などの説明は、言葉自体の意味が分からないので使えない。一番の困難さはここにある。
強迫的合理性ジャイアンは、この時間継続性の感覚が、大多数の誰よりも強いのですね。だからその場によって自分の顔を使い分けるということができない。よく言えば仁義に厚い人、悪く言えば融通の利かない人、ということになるでしょうか。
合理性ジャイアンは、その攻撃性をうまく違う形で出力できるようになれば、多くの人からの信頼を勝ち得ることができるようになると思います。
先ほどの続きです。
ジャイアンは他人を感じられない。おっしゃる通りだと思います。私も仁義には厚かったのですが、ひとの気持など考えずにずかずかものを言う攻撃的な人間でした。これも先生のおっしゃるように、他人を感じられないという我々の欠陥に端を発するのではと思います。(第一段階)
そこで私が個人的に行ったトレーニングは、今度は徹底して他人の気持ちを想定し、どこまでも共感していく、ということでした。それがどんなに極悪非道な犯罪者であっても、その人の生い立ちに思いを馳せれば、共感できるようにいつの間にかなっていました。前は人の好き嫌いが非常に激しかったのに、最近ではむしろ仏とまで言われるようになったのです。これは後天的に努力すればいくらでも養える力だと思いますし、意識してのトレーニングの上に培ったものなので、何も考えずにできる普通の人よりも揺るぎなく、より内省された深い共感を持つことが可能だと思います。(第二段階)
ここで忘れてはならないのは、共感的である上で、なおかつジャイアンにすぐれた、構造的にものを把握し判断する能力を発揮することです。他人の気持ちに共感しているばかりでは、事態を前に進めることができません。この共感的な部分と、システム的にものを見る能力を同時に発揮すること、これが私が自分に課したトレーニングの第三段階です。
難しいですが、誰にも流されずに自分の意志で人生を生きている感じがして、生きている実感と喜びがわいてくるようになりました。先生のブログは、思いあがりがちな私をいい意味でへこませてくれ、いつも感謝しております。
思い当たるところがあります。
思い当たるのになかなかピントが合わず、それはなんだろうと考えてみました。
「この間ああ言ったのに今度こう言ったのでは理解されない結果になる」
私は他者へ対して、このように行動する人を信用できないと考えています。
こんなことでは周りが迷惑だし、困る事態になるだろうと想像もできます。
なので、私はそうはなるまいという信念に近い自負が昔からありました。
その気持ちが邪魔してピントが合わなかった気がします。
振り返ると・・無責任だとか怒られてばかりでした。
こんなに頑張っているのだから、怒る人は悪意を持っていると考えたりもしました・・
でも、周囲の目には自分の思いとは裏腹に「結果」無責任な行動をしているのではないか・・・と・・。
最近ではこの歳になって、「ほう、れん、そう」と怒られました。
報告、連絡、相談・・・知ってましたし、そうしているつもりでした。
用意する必要のあった書類を持って行きませんでした。
背景としてはこの書類の他に用意する予定で頓挫して、途中で必要がなくなった物もありましたので
私にはそれらと区別がつかずに、こっちは必要だろうかと迷いましたが
どうしても必要であれば、向こうから連絡してくるだろうと思い
「何時までに・・」という指定も無かったので”持っていかずに指示をずっと待っていました”
持って行きますと私は一度言ったので、相手からは”無責任だと思った”と言われました。
この言葉に驚いたのを覚えています。
また、別の人から「その後いかがですか?」の連絡が無いと怒られたこともあります。
その後なんて、思いつきもしないし”相手が何を考えているのか聞いてどうするんだろう”と思い、困りました。
聞いても何か変化する可能性が考えられない場合に”敢えて相手に問いかける”という意味が私には解りません。
記憶が無くなることも、私の行動に拍車をかけていると思います。
必要性を説いていただけたるのは大変ありがたいです。
必要性が解るとしっくりくるのですが、ということは
私は無意味だと思ってしまうと風景化してしまう・・のでしょうか。
「過去と繋げる」・・ということ。
今は繋がっていないということですよね
どう工夫すれば繋がるのか、もう少し考えます。
私が依存型ジャイアンを羨ましく思うのは、本当に瞬間瞬間でいきているから、過去の失敗を引きずらないこと
pianoは例えちょっとミスをしたとしても次の瞬間平常心に戻り、更に次のことを考えなければならない
それを依存型ジャイアンはふつーにやってのける。
彼等は過去の栄光もどーでもよく思っている節もあり、そのひきずらなさ加減、未来にのみ集中して頑張る姿は非常に効率よく見え、羨ましい
とはいえ、人づきあいもその瞬間瞬間のみ
まるで綱渡りしているかのようにみえる
今読んでおりますソーシャルブレインズに述べれらている「固有自己 proper self 」の自己概念システムを想起しました。(下の引用を参照ください)
YANBARU先生の臨床的経験は、社会的文脈、対人的な関係のレベルの自己概念システムが固有自己プロパーセルフの段階まで発達していない発達障害を示唆していると思えます。先生のやり方は、利益を導き手にしてバーチャルな仮想的なプロパーセルフの導入を行っていると見えます。
自閉症スペクトラムと同様にプロパーセルフ障害スペクトラムも考えられるのではないでしょうか?
ASは心の理論の獲得が定型・多数派よりも遅れます。アン・サリーの誤信念課題を成人でも解けない方もいますし、誤信念課題はできても実生活では上手く適用できず対人関係でトラブルを抱えます。そして多くの成人ASは無自覚、未診断です。
時間的継続性に問題を持つ、プロパーセルフ障害も、有る無しの2価ではなく、軽重や顕れ方が連続している、スペクトラムではないでしょうか?そして対人関係で問題を抱え先生の門の戸をたたく人だけでなく、AS同様に無自覚、未診断の成人が多くいるのではないでしょうか?
牽強付会かも知れませんが、ぴよよさんの>現実で問題を起こして回ってしまう人達こそ発達障害を知って診断が必要なのですが、そもそもそのための自立支援法だと思うのですが、現実で色々振りまいて回る人に限って、何もしてなくてしようともしないのです<は、その周辺の人の声に聞こえます。
つづく
B、アイデンティー 自我同一性の脆弱性
エリクソンは、過去の自己と現在の自己の連続性を確信することが自我同一性の形成の重要な要因であり、その確信が達成されることによって未来に対する展望もまたまた具体性を持ち現実的な存在になるとしています。このことから、社会的対人的な自己概念の時間的継続性に問題がある、プロパーセルフ障害の依存型ジャイアンの方は、アイデンティー 自我同一性の形成、および未来の自己像の形成、具体性などに脆弱性などの問題をもっているのではないでしょうか?
ソーシャルブレインズ 自己と他者を認知する脳 関一夫/長谷川寿一 編 東京大学出版会 P43
ポヴィネリによれば、鏡の自己像認知が獲得される18-24ヶ月児は「現在自己 present self 」と呼ばれる自己概念のシステムを獲得する。現在自己は、いま・ここに制限されたシステムであるため、この時期の幼児は自分の過去に関する表象を現在の自分に関する表象と関連づけることができない。そのため、先述した実験では過去に録画された映像が 現在の自分と連続性をもつことが理解できなかったいうのである。ポヴィネリは4歳を過ぎる頃、次の自己概念のシステム、「固有自己 proper self 」が獲得されると主張する。この段階で始めて自己に関する複数の表象を同時に保持できるようになり、幼児は自分の体験した記憶を時間軸に沿って位置づけることが可能となる。4歳を過ぎてはじめて過去の自分・現在の自分・未来の自分についての出来事を時間軸に沿って区別できるようになるため、固有自己を獲得していない3歳では3分前の自己映像を見せられてもシールを取ろうとしなかったと説明した。
先述した実験・・まず、子供の頭にこっそりとシールを貼り、その様子をビデオカメラで撮影した。およそ3分後にシールが貼られている映像を呈示し、こっそり貼られたシールを取り除けるかテストした。その結果、2歳児では誰もシールを取ろうとせず、3歳児でも25%しかシールをとろうとしなかった。4歳児では75%がシールを取ろうとした。
良い治療ですね。
これぞ、薄情と言われ続けた私に必要な。
ゆえに専門職を選んだけど、そろそろやりたい放題も限界ですわ。
去った組織は人もまとめてまるごと過去に葬り去り続けてきましたが、そろそろ限界と感じます。
正直、周りとのしがらみが面倒くさくてならない。
>ジャイアンは他者を感じられない。「決定権」と「力関係」への直感的な認知はあるが、競う相手でさえ「人間」として感じられては居ない。
私もですけど、で「決定権」はありますけど、それは状況に則してはいない。「力関係」への認知はあやふや。競う相手ははるか彼方に。ジャイアン能力のある人は、時間感覚のマスター。それがすごく不思議で魅力的。