ADHD関連

ジャイアンにとって「助け合い」とは?

 是非の問題はさておき、私はジャイアンの心理を理解することに役に立つと考えて書いている。これは「托卵」という郭公の依存的な生き方をせざるを得ない受動型ASを「自立自尊の精神に欠ける」と批判することが無意味であるのと同じだ。

 (非常に残念だが前項のいくつかの書き込みにはジャイアンを「理解」しようとする意志を感じられない。知りえないことであっても、理解しようと努力することは可能なはずで、その姿勢は自ずと発言に現れる。あまりに無理解な発言を見てあきれ返るしかない印象を持った。)

 さてジャイアンはまず「問答無用の自業自得」でもきちんと論じたように、人に「助け」ということ自体を求められない。また「助け」られたとなると逆に激しい中心志向からの自己突っ込みが生じて、「助け」られたメリットをはるかに上回る苦しみが待っている。

 この中心志向から来る自己突っ込みの激しさはもう(一部の積極奇異型ASの人を除き)「ジャイアンでない人には理解出来ないだろう」という非常に苦しいことだ。だから自己突っ込みの無い人には想像も困難であることは分かる。

 次にたすけ「合い」ということもジャイアンの辞書にはない。もしもジャイアンが自分の努力と引き換えに代償を要求する取引をしたとしたら、その相手への要求は恐ろしく厳しいものになるだろう。「自分はここまでやっているのにお前はこんなことしかしていない」と罵倒することにならないで平和裏に取引が成立する可能性には私は悲観的だ。

 あるとすれば「利用」はある。「こいつは便利だから使おう」という感覚は時としてあるが、無償で「使え」て当たり前で、自分が同じように代償を払うなどありえない話だ。

 実際にジャイアンが非常に不幸な依存のプロセスに陥った事態は、実は「出来ない」と認識したときに、「この相手にやってもらう」と丸投げすることから始まった例を私はいくつも話を聞いてきた。

 ジャイアンは出来ることなら苦手なことをして起こる自己突っ込みを減らしたい。「このことはこの相手の担当」くらいに自分ですることから完全に除外して、丸投げしてしまうことで、自己突っ込みの生じる対象から外すことができる(ように一時は)見える。これがジャイアンにとっての「依存」に他ならない。 

 この依存と引き換えに、ジャイアンは自分の思考の一部を「停止」する。ここから先は前項で論じたが、必然的に破綻して、依存させた相手を叩き切るしかなくなる。

 中心志向を持つジャイアンは「適度に助けられる」ことは出来ないのだ。これは脳の根本的な特徴から来るもので、自分でもコントロールが非常に困難で、そのわずかな方法を私を含めジャイアンの当事者がここで少しずつ探究している。そのひとつが「低い自己評価を言い聞かせ続ける」という方法だ。

 自己突っ込みの無い人々にこの苦しみを「理解」しろとは言わない。おそらく不可能なことだからだ。ただ苦しみが分からない立場から安易に「中心志向をやめれば良い」というような意味の発言をすることはどうだろうか?

 申し訳ないが、ジャイアンが「助け合い」が出来るようになるとすれば、重症の情緒障害(離人症など)かACになって自分の感情がなくなってしまうしかないのではないか?

 ジャイアンはこの自己突っ込みから逃れたい。苦しいから代わりにやってくれる人が居れば丸投げしたい。しかしその後で必ず破綻するのはジャイアンの中の中心志向が残っているからなのだ。

 ジャイアンを依存に誘う行動はこの苦しみに付けこんで、ジャイアンをもっとも不幸で病的なプロセス、脳に不健康なプロセスに引きずり込む悪行だということを理解してほしい。私の言いたいことはこれだけだ。

 私はこれほど、依存からくるうつや身体症状に苦しんで、非常な痛みを伴いながら自己突っ込みの場所への回復を体験しているジャイアンの本人の姿を何人も見ている。これ以上余計な依存の誘いを差し控えてほしい。自分自身で回復する孤独なプロセスを邪魔しないでほしい。言いたいことはこれだけだ。


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コメント

    • Tama
    • 2008年 6月 19日

    YANBARU先生、ありがとう。
    本当に、ジャイアンの言いたいことを全部言ってくれましたね。
    「どんなに辛くても戦い抜いてみせる。だから孤独な戦いの邪魔をしないで」
    私は過去付き合った相手に対して、例外なくこのような言葉を突きつけて、別れてきました。
    いつも、相手から「もっと心を開け」みたいに言われることが苦痛でした。心を開くなんてできるはずがない。自分のことを考えるだけで精一杯なのだから。
    私は一生、結婚するつもりも、子どもを持つつもりもありません。人に迷惑をかけずに、得意分野で能力を発揮しながら、戦い抜くつもりです。
    先生みたいに上手に分析はできないけれど、私には「過集中」と「永遠の子どもの心」がある。
    これからも、先生の言葉の中から、自分にわかる部分だけでも拾い集めて、生きていく支えにさせていただきます。
    いつもありがとうございます。苦しみの中で書いた言葉であればあるほど、人の心にも深く残るものかも知れませんね。

    • mmm(ジャイアン)
    • 2008年 6月 20日

    以前どこかのエントリーでも書きましたが、わたしは受動型AS傾向のある人だと共依存にならない恋愛が「できる」んじゃないかと考えています。(実践中です)
    これについてはこれまでのm2さんの意見とほぼ同じです。
    積極奇異型ASの傾向がある男性との恋愛では先生の仰る通り共依存となり関係が終わると自分がぼろぼろになるので、おそらくそのような男性と付き合うことは避けなければ、と思っています。
    「助け合い」より「利用」のほうが言葉は近いかもしれないですね。ただ、その人が必要で大切な存在であることは確かです。
    助けてもらっている(利用させてもらっている)と感じる部分は、自己突っ込みを穏やかに見守ってくれることや、破天荒で場当たり的な行動を嫌がらず(おもしろがって)比較的認めてくれるようなところです。
    逆に彼を助けている(利用されている)と感じるところは、二人でするたいていの行動はわたしが提案したり決定したりする、ということでしょうか。
    積極奇異型ASとジャイアンは我の強さが競合するところがありどちらかが依存するかたちになりますが、受動型ASとジャイアンだとそういったことがあまりないので依存するというかたちにはならないように思えます。過剰に手を貸そうとしてくることもありますが、それは自分で乗り越えなければいけないところなので断ります。
    ・・・書いていてなんとなく思ったのですが、ジャイアンの場合、自己突っ込みを好きなだけさせてくれる相手となら共依存にならない恋愛をすることが可能なのではないでしょうか?
    わたしの経験上、積極奇異型ASと多数派は無理です。
    受動型ASだと可能だと思います。
    孤立型ASはわかりません。
    夜中の思考なので、あまりにも見当はずれな意見でしたら申し訳ないです。

    • 匿名
    • 2008年 6月 20日

    「過集中」と「永遠の子どもの心」、とコメントに書かれていましたがよくわかります。毎日1日中そんなことを繰り返しています。集中しすぎると回りのことが見えないし、自分のこともほんの一瞬見えなくなるし(ただしすぐに自己突っ込み)、また子どもは基本的に悪魔であり(それを親たちが人間らしくしていく)、そういう意味も含めて言いえて妙だと思います。

    • エイト
    • 2008年 6月 20日

    今あることがあってもの凄い自己突っ込みをしています。ご飯は食べられるし、眠ることもできますが、起きている間は苦しいし辛い。ジャイアンが自分で自分を痛めつけるときのパワーってほんとうに恐ろしい。もし私が誰かに依存していて、この突っ込みを依存させたその人に向けたら間違いなく関係は破堤するでしょう。
    ジャイアンにとって依存関係は最終的に病気になるか破堤するかどちらかだと思うから(いつでもどこでも所詮は極端なのですから)、先生の仰るとうり、しっかり自分の足で立つほうが健康的なやり方だと思う。
    自分で考えて行動してその結果も自分で受け止めて、自己突っ込みをしながら生きていく。苦しくて辛いけれど。
    私も「丸投げ」の衝動に駆られることがありますが、その後に襲われる自己突っ込みの苦痛を想像すると恐ろしくてとてもできません。
    中心志向も私の場合は「過信」と「思い込み」の罠に重々気をつければ「一生のお友達、自分の心棒」みたいなものです。

    • エイト
    • 2008年 6月 20日

    (私の)ジャイアン丸出しで書かせていただきます。
    >ジャイアンを中途半端に「助ける」ことなどできない
    極親しい自分の好きな人がさりげなく「~するといいよ~」と言ってくれた言葉を覚えていて、後で自分で考えるときにヒントにすることはあります。
    私が相談したその道のプロに意見や指導をされ「プロが言うのだから間違いない」と簡単に信じて実行して結果的にうまくいかなかったとき、もの凄い自己突っ込み(どうして自分で考えて自分の納得できる行動をしなかったのか)に襲われて自分を責め続けます。
    相手のことも恨んでしまう。今まで何人ものプロといわれる人を恨みました。
    人を恨みたくないので、これからもますます私の中心志向が進むことだと思います。
    自分で納得して行動して自分に突っ込むこと「誰のせいにもできない自業自得」のくり返しは辛いけれど単純な私には効き目があります。
    おそらく多数派の人が普通にやっている「うまく周囲の手助けを受け入れていい方向に問題解決する」というのは私にはとても無理です。
    私と主人が破堤しないのはお互いに干渉や口出しをしないから。子育てでさえ(行動が伴わない主人の)意見は無視される状態で、私と一致する考えには共感できるけれどという感覚です。家族としての絆は恥ずかしいけれど強いとはいえないと思う。
    でも私にとってはこれが自然なのです。

    • エイト
    • 2008年 6月 20日

    度々すみません。
    (私の)「助け合う」ことについて。
    もし主人が忙しい私のために家事や子育てを手伝ってくれるような人なら「この人こういうこともできるのね、私より上手いかも」と安心して自分はひたすら手を抜く方向に向かうと思う。面倒くさい自分の責任はなるべく減らしたいですから。
    メタボな主人の健康管理も、いい奥さんならいわれなくても工夫した食事を作るのでしょうが・・・
    「自分も我慢するから協力してほしい」と本人から申し出るならばヘルシーな献立も作ります。
    でもマヨネーズ大好き、味の濃いもの大好き、夜中にカップラーメンやおやつを食べ、タバコを控える様子もない人のために協力するつもりはありません。
    「もし生活習慣病で倒れたらそれは自業自得だから」と脅かしています。
    本当に倒れても一生懸命看病する気にはなれません。

    • ぴよよ
    • 2008年 6月 20日

    結婚しないくせにこの記事にコメントしようとする自分が、未練がましいなあと思いますが・・・。
    「助け合い」できる、できないの議論の前に、もう既婚になってしまったかたは否応なく「助け合い」をせざるを得ないのではないでしょうか。
    あと、仕事の場でも「助け合い」をせざるを得ませんし、生身の体を持っている以上は、自分を育てた家族がいるわけで、政治家芸術家など特別な才能や海外を飛び回るなど事情を抱えていない限り、または虐待を受けたなど誰もが納得する経緯がない限り、存在の小さい凡人なら身内の関わりからは逃げ切れないのではと思います。
    だから、逃げ切れなくて苦しくてうつになってしまいそうだから、当事者は支援が欲しいのではと思います。
    苦しいでしょう。
    私のように、脳波が遅いために謙遜しないと生きていけないことを当然として叩き込まれた者と違い、頑張ればほとんどの一般常識も、職場独特の常識も、家庭運営の常識も習得でき、出来ないことが存在しないジャイアンにとっては、協調は苦痛でしょう。
    だから、発達障害を自分に発見してから、しなくていいこととして残せる選択肢は結婚でしかないと、私も思っています。
    わざわざ誘惑をすべきではないです。
    依存もすべきではない。
    しかし、恋愛と友情だけは始めから止めるべきでもないと考えてます。
    恋愛は意図的にするものではなく、事故のように落っこちるものだと言われています。中毒的にしてさえいなければ、しかたがないのです。
    問題は、発達障害を自覚した大人がそれでも安易に、しかも依存を目的に意図的に、無責任な恋愛や結婚を繰り返す姿を次世代に見せてしまい、それを社会も黙認することではないかと思います。若者というのは酒煙草のように、大人が楽しんでいることは自分もしていいのだと主張するものなのですから。
    だから意図はどこにあるかが、私は気になります。
    でも、せっかく底付きをしたジャイアンなら、回復のプロセスもどうすればいいかは、かなり分かるのではと思います。

    • ぴよよ
    • 2008年 6月 20日

    続けてすみません。
    先ほど書いたとおり、私の気になることは、回復や依存で苦しむ当事者の行動の意図はどこにあるかということです。
    ずっと前の記事で、先生が自己磨きも仕事も愛想も一点の非もないように頑張る一部のジャイアン女性のことを書くと、一部の男性のうっとりしたコメントが出てきたことを思い出しました。
    私もつい遊び心を出したコメントを書いてしまいましたが、うっとりはうっとりで、心に隠し続け、誘惑をしないように気を付ければジャイアン女性は救われるのではと思いました。
    多数派がこれをやったら、もし誰も賞賛も恋心も発言しなくなったら、社会には子どもが居なくなり、回らなくなります。
    しかし、輝く女性が、ただの社会性もある天才ではなくジャイアンだった場合は、例えば歳も近い異性が過剰に十分に受容しながら褒めるなど、危ういことをしないで自制すべきだということはこのブログから分かると思います。
    それでも落っこちたら、いっそいいんじゃないでしょうか。
    大蛇に化けて大鐘ごと巻いて焼かれてもいい覚悟でするのなら。
    ギリギリで生きるジャイアンから逃げるから、悪者になるのです。
    私はのろいから、大蛇にはなれません。
    子供の頃にいじめられてだいぶ分かりました。
    いくら脳波が遅くても、ジャイアン思考で自己処理が困難なほど喜怒哀楽の感情が大量に溜まっても(ここですが、喜怒哀楽の激しさは積極奇異傾向も感じます。私も環境によって複数のASタイプの様相が内在すると感じています。)それを脳波の歩みに合わせて人にゆーっくり、じーっくり解消してもらい安心させてもらう正当性が、まだありません。
    安心して生きる資格がないなんて、まるで犯罪者みたいとも思えますが、リタリン問題始め、社会が私達の存在になんら構う気がないのでそういう解釈しかできません。
    歩みが早ければ「利用」もしたかもしれません。

    • m2
    • 2008年 6月 20日

    このコメントは管理人が不適切と判断したので以下に移動しました。
    http://bbs.kodama.com/bbs/kakkounohina/

    • m2
    • 2008年 6月 20日

    このコメントは管理人が不適切と判断したので以下に移動しました。
    http://bbs.kodama.com/bbs/kakkounohina/

    • まーちんAS
    • 2008年 6月 20日

    >ジャイアンを依存に誘う行動はこの苦しみに付けこんで、ジャイアンをもっとも不幸で病的なプロセス、脳に不健康なプロセスに引きずり込む悪行だということを理解してほしい。私の言いたいことはこれだけだ。
    先生のおっしゃることが、今回は非常によくわかった気がします。
    ジャイアンが
    誰か(何か)に依存しはじめるきっかけ・兆候や、
    依存している時に特徴的な行動があれば、
    対応できる人は割とたくさんいると思います。

    • どらねこ
    • 2008年 6月 20日

    どうも、不良猫です。
    ある方は自分は貴重な情報を持っていたと認識しながら、攻撃されれば、引きこもるかもしれない、との宣言を担保に言いたい放題。
    多くの方は管理人さんの方針分かっているから遠慮している。
    そのような態度こそ依存そのものでしょう。

    • Tama
    • 2008年 6月 21日

    わりと前向きのジャイアン、Tamaです。
    >できないことを認めることで、自己突っ込みからは解消されるのです。
    これは究極ですね。解消されたら、ジャイアンは楽になると思いますか?以下は私の経験談です。
    「できないことを認める」と、私は「無能」を演じようとして、わざと簡単な仕事も失敗します。会話していても、わざと聞き返したり、理解力の低い人を演じようとします。
    そして、その後に起こるのがまた自己突っ込み。
    「なんでバカのふりなんかしてるんだろう?」
    >「どうやってもかなわない」こういう気持ちを感じた時に、初めて、自己突っ込みから解放されます。
    果たして本当に解放されるでしょうか?「やり方を変えれば勝てるかもしれない」「負けるなんて許せない」の思考の方が先に来るのではないでしょうか。
    ジャイアンは、基本的に白旗を持っていないのです。
    いつも、瀕死の状態になってからしか気づけない、タフなようで脆い精神を持っていると私は思います。

    • 匿名
    • 2008年 6月 21日

    Tama 様
     あなたの誠実さと堂々たる態度に敬服します。これはジャイアンの長所ですね。
     私は恥ずかしい限りですが、まともに読んで反論する気にもなれません。直視もまともに出来ない卑怯な自分に突っ込んでいます。
     「理解」という言葉の意味の問題かなとも思います。
     相手の一番苦しい弱点に付け込んでコントロールできることを「理解」と思い込み、声高に自己正当化をし続けるなど、われわれジャイアンであれば間違いなく直後に恐ろしい自己突っ込みの来る非常に情けない行動ですね。
     私が一番淋しいと感じるのは、「本当のことが通じない」ということです。
     私はあなたがどこの誰でどのような人生を送っているかも知りませんが、あなたと私(そしてここに参加しているジャイアンの方々)にはある「理解」が成立していますね。
     ここには「依存」も無く「同情」も無くもちろん「相手にとっての必要」なども無く、相手を尊敬し、苦しみを想像し合える、これが「理解」であると私は考えます。
     (そういう貴重な場であることを想像も尊重も理解も出来ない、ある意味重症のKYだなと感じるところもあります)。

    • どらねこ
    • 2008年 6月 21日

    僕の嫌なこと
    嫌な自分に自己つっこみです。
    自分のコメントはただ単に流れに竿を差すような気持ちからだったのではないだろうか。
    私も相手を尊敬する態度に欠ける生き物の一人だったと言うことです。
    本当に気がつけばいつも手遅れです。
    低い自己評価の意味を噛みしめることにします。

    • まーちんAS
    • 2008年 6月 21日

    Tamaさんのコメントより
    >ジャイアンは、基本的に白旗を持っていないのです。
    いつも、瀕死の状態になってからしか気づけない、タフなようで脆い精神を持っていると私は思います。
    ジャイアンの方を見てそう思うことが、私も多々あります。
    で、不思議に思っているんですが
    これって極端な話、<白旗をあげられない>ことに依存して生きている(ASですが私もそんなところがあります)ってことですか?
    <白旗をあげられない自分>にも自己突っ込みを入れますか?それとも、そこは死守するところでしょうか?
    もし後者なら、それが人間の尊厳だと考えているってことになりますか?
    ぶしつけな質問ですみません。

    • m2
    • 2008年 6月 21日

    このコメントは管理人が不適切と判断したので以下に移動しました。
    http://bbs.kodama.com/bbs/kakkounohina/

    • エム
    • 2008年 6月 21日

    先生、大変ですね・・。受動型ASを黙らせる(?)事は不可能なんでしょうか・・?受動型ASが自己防衛を発動すると、もはや過剰防衛になり徹底的に相手の痛い所をついてくるのですよね。それでも「人非人」などと責めると、少しはこたえる様で内向して今度は逃避します。受動型ASは、最終的には孤立型を目指しているのかと思ってしまいます。
    私には無理ですけど、先生なら上手く受動型ASを使える(受動型ASは自分の認める人には使われたい・・)と思います。頑張ってください。

    • ふぇありー
    • 2008年 6月 21日

    <「中心志向」の人は、自分が本当と思っていること=本当のこと、なのですね。
    <自分が本当と思っていることが、一般には本当で無いことなんていっぱいあるのですから。
    <「合理的志向」の人は、自分が思っていることは本当なのかどうか?疑念を持ちながら生きています。
    失礼ですが、これまでの先生のエントリーや、色々な方のご意見を全くご理解いただけていない(いえ、読まれてもいない)故、この様な事を「今更おっしゃる」のだと、想像させていただきました。
    正直、昨夜までの怒りが、笑いに転じました。
    「中心志向、自己突っ込み」とは、一瞬一瞬で(私の場合、積極奇異ASはタイムラグがありますが)、上述のような事を常時行っているのです!
    前回のエントリーだったでしょうか、エイトさんが例を示してくださっています。
    ご理解いただけない方には、「くだらない」としか思えないのでしょうが、私たち中心志向の強い人間は、いつも自分で自分の足を引っ張ってはアリ地獄へ堕ちて行き、苦しみもがきます。
    この中心志向が究極に達した時、「思考は止まり、生命維持装置は最低限で働いているが、自分自身にも居留守を使い、植物状態で眠っている」だけの状態になります。
    先生のおっしゃる通り、ジャイアンの自己突っ込みとは、当事者以外にはどんなに苦しいかは、理解困難でしょう。
    しかし、「そうなんだ!」と、感じ取ろうとする姿勢は大切なのではないのでしょうか。
    皆さん(私を含め)、恥ずかし過ぎて、普通では話せないことも勇気を出して書いているのですから。

    • ぴよよ
    • 2008年 6月 21日

    >受動型ASを黙らせる(?)事は不可能なんでしょうか・・?
    元受動型の一人として、すみません!
    私も、過去に何人もの人間から(どうやって黙らせようか)と思われてきたであろう者でした。
    何故言葉を出したがるのか、何故欲しがるのか、と何年も人に聞き、自問自答してきた結果ですが、空気を読めない分、言葉で括られた枠というものが私の安全地帯だからなのです。
    人に丸投げする、または人が主導権を持って指示してくれることで自己突っ込みが一時停止できるのは、その指示の内容が誰からもぶち壊されることのない安全地帯だからです。
    そして、その指示の記憶を時、場所、状況と一緒に覚えておけば、後日自己突っ込みをするときも(ここまでは今まで大丈夫だったから大丈夫)と一線を引けて、便利なのです。
    まずいのは、過去の指示の記憶をすら覚える気が無くなったときです。記憶も応用もする意志が無くなったときに、ジャイアンと受動ASは文句だけ言う依存ロボットと化すのではないでしょうか。
    いくら過去に苦しみや理不尽こうむってきても、自分には丸投げして癒される権利がある、丸投げを受けとめてくれない人が悪いという言い分は残念ながら通じません。流れに竿を差して癒される人は置いておいても、どんな形であれ合理的になろうと努力する人の、努力は認められる場であってもいいのではないでしょうか。
    ヤンバル先生がジャイアンの患者達を気に掛けるお気持ちもそれなりに分かります。
    身近な人に受け入れられづらい、身近にもジャイアンしかいなくて合理的になろうとしても手本が見つからない、努力しても価値がない、孤立無縁のジャイアン患者にとっては、先生しかいないという人がとても多いのではないでしょうか。
    私も、生き方を一歩間違えれば死ぬか生きるかの瀬戸際になったかもしれない人間です。違う人生なら先生のお世話にもなったかもしれません。
    頭の付いていく限り、ここには大事に付いていこうと思います。

    • mmm(ジャイアン)
    • 2008年 6月 21日

    Tamaさんのコメントの
    >ジャイアンは、基本的に白旗を持っていないのです。
    >いつも、瀕死の状態になってからしか気づけない、タフなようで脆い精神を持っていると私は思います。
    以前のわたしはこのような状態でした。
    しかし白旗をあげて他人に委ねたほうが的確かつスムーズに物事が進むことと、そうして自分が得意な部分にだけ没頭できたほうが結果的にもよい、という合理的志向がわたしの場合優位になってきたので、今では白旗をあげられるようになりました。
    まーちんASさんの、
    ><白旗をあげられない自分>にも自己突っ込みを入れますか?それとも、そこは死守するところでしょうか?
    上記の通り、わたしの場合は自己突っ込みを入れます。
    そこを死守しているのはなんだか卑怯だ、と自分に対して感じてしまうというのもあります。
    今回のエントリーで、自分はある部分ではとても合理的になってきているのかもしれない、と感じました。
    私事ですが、ACからジャイアンになる不安定で激しい時期を越え、非常にあっけらかんとした時期に入りつつあると感じています。(ここで脳の勉強させていただいているのと共にヨガという身体面からのアプローチも手伝っているのかと思います)
    でもやはりジャイアンなのでYANBARU先生に教わったとおり、自己評価を下げるのを忘れるとひどいめにあいます。
    確実に「依存型ジャイアン」であった、という時期を認識しているので、現在受動AS傾向のある人と付き合っていますが今は「依存型ジャイアン」ではないと思っています。
    つづきます・・・

    • mmm(ジャイアン)
    • 2008年 6月 21日

    つづきです・・・
    先生が仰るジャイアンがASに依存するかたちになると散々な目に陥ってしまう、ということもよくわかりますし、たくさんのジャイアンとASが依存関係になった結果ボロボロになっていくのを見て、先生は心を痛めているのだろうな、ということをお察しします。
    しかし、わたしはジャイアンですがm2さんのコメントも理解できます。そして、わたしもこのエントリーがジャイアンの井戸の中と化しつつあることを感じます。
    わたしは「本当のこと」と言うときには「現実のこと」という解釈をするし、そのように使っています。それ以上のもの(感情など)を「本当」という言葉に乗せると、汎用性に欠けて結局は伝わらないのではないかと思います。
    先生、ここでは汎用性がなく伝わらない言葉は不毛ではないでしょうか?

    • あおがえる
    • 2008年 6月 21日

    僕自身がジャイアンかどうかはさておき、助け合いに参加しない原因はおっしゃる通りなのではないかと思います。
    僕は笛を作っていますが、売る事はできません。人との関係ができることが辛いからです。また代理人を立てて販売を任せる事もできていません。
    親切に助け船を出してくれる方々もいるのですが、その誘いにはのれずにいます。
    ”低い自己評価の言い聞かせ”を試みてみます。

    • たかこ
    • 2008年 6月 21日

    >相手を尊敬し、苦しみを想像し合える、これが「理解」であると私は考えます。
    とても大事なことだけど、いつしか忘れてしまっていることのようで、なんだか胸にずっしりきました。

    • ひまわり
    • 2008年 6月 21日

    >あるとすれば「利用」はある。「こいつは便利だから使おう」という感覚は時としてあるが、無償で「使え」て当たり前で、自分が同じように代償を払うなどありえない話だ。
    この、ことばにドキッとしました。
    私は、以前からこの「利用」ということばを、何度使おうとしては、思いとどまり、書けないでいました。
    私は、人をよく『利用している』と認識することが、あります。
    この人は『利用できるか』『利用できないか』を感じ取って、その後の関わり方が決まっていきます。
    私はたぶんジャイアンではなく、きっと薄情なまでに合理的志向であると思われます。
    生活全てを、合理化しているように感じます。
    旦那が受動型ASだろうとは思いもしなかった20年間。
    始めの頃は、旦那は本当に自分がないかのように、
    私が行きたいと言う所に行き、時間が来たから帰る、
    私が住みたいと思う地域に住み、そこにただ帰ってくる、
    私が家を欲しいね(勿論、いつの日か…というつもりでしたが)と言うと、すぐに物件を探しに行き、家を買う、
    車が要るよね、と言えば、自分達の分相応も分からず、高級車を買う、
    そんな旦那を、楽だと感じていたのでしょう、(自己突込みは停止していたのかな?!)
    そして、ズルズルと依存に誘い込まれていたのでしょう?!
    分析するのは、本当に難しいですが、
    気付いた時には、旦那は人に決めさせておいては、その結果に不機嫌さを表し、キレたり無視をしたりが、生活の大半を占めるようになっていました。
    私は愛着対象であり、共依存にもっていかれ、うつと身体症状に苦しめられた。
    YANBARU先生の言われる通りです。
    本当に、よくぞこれほどまでに、的確に説明をして下さったと、感謝です。
    しかし、旦那を切り捨てたにも関らず、
    ひそかに『こいつは、利用できる』という部分は捨て切れてなく、金銭面の援助を続けさせています。
    私が子どもを選んだのではなく、子どもが私を選び、そのために子どもの世話をしている…というのを理由(ネタ)に・・・。
    (つづく)

    • ひまわり
    • 2008年 6月 21日

    (つづき)
    こんなことを、ASの方が聞いたら、なんて言うのだろう?と自己突っ込みを入れながらも、
    合理的に生きていければ平和である今の生活を、満喫しています。
    『何でもできる』、『何でもやってみる』、と自由に思えることは、なんて素晴らしいことでしょう。
    受動型ASのビビリ(←私から見たら…)に邪魔されない生活は、本当に晴々しています。
    『自己突っ込み』が復活しようが、『自業自得』と自分に厳しくあろうが、誰にも邪魔されず自分で考え、自分で決め、自分で実行できる人生は、最高です。
    (これは、誰かの批判とか、誰かに対する反論とかでは、ありません。今の私の気持ちであり、状況の説明です。)

    • パパイヤ
    • 2008年 6月 21日

    わたしの書くべきことはひまわりさんが全部書いて下さっているので何も書くことはないですが、(とか言いながら書きますが)
    「この人といると、(死にたいほど苦手な)掃除とか片付けとかやってくれて、超~楽♪」とか、
    「(ものっすごいめんどくさい)化粧したりダイエットしたり親戚づきあいとかしなくてよくて楽」(相手がほぼニートだから体面を気にしなくていいと思った)とか
    「自分が死ぬほどの努力をしてキープしていることを今後は放棄できる」と理由で
    結婚するもんじゃないなと思いました。
    結局別れたら自分でやることになってるんですが、今の時代お金払えばいろんなサービスが受けられるし、そうじゃなくても、いろいろ努力する過程も楽しいですね。
    最初の方の書き込みにもありましたが、好きでがんばってるんだから、ごちゃごちゃ言わずにがんばらせてほしいですね。

    • エイト
    • 2008年 6月 21日

    私が困ったときにプロに助けを求める理由は「助かった」ときの自己突っ込みをなくすためです。
    「相手は助けることが仕事だから」「こちらはお金を払っているから」助けられても罪悪感を感じない。
    プロでない人に助けられてしまうと卑屈になる、借りができる、何かお礼をしなければいけない、対等な関係を維持できないなど気持ちが湧いて居心地が悪いから避けるのです。
    問題はプロに強く言われたときです。鵜呑みにしてしまう。その結果失敗したときの自己突っ込みはほんとうに酷い。(今回の自己突っ込みがこれです、体重が2Kg痩せました)
    プロだろうがなんだろうが自分で十分に検討して答えをだすべきでした。
    プロの言葉を鵜呑みにしたその瞬間から私はその問題について「依存」したのだと思う。私はこの程度の「依存」でも自分が許せません。
    プロだから間違ったことを言ったわけではない。でも、自分でよく考えずにプロの意見に従ってしまった自分が情けない。
    相手はたとえその方法がベストだと思っても、選択肢は必ずいくつかあるはずだから、提示して(無知な)私に決めさせることが1番私には「助けられる」ことです。
    先生が仰るように、私みたいなジャイアンははっきり言われるとつい乗っかってしまいます。
    これからは正しい(とつい思ってしまう)ことを言われたときこそ要注意!!だと肝に銘じます。
    依存して失敗したときの突っ込みより自業自得の突っ込みのほうがまだ納得できますから。

    • ぴよよ
    • 2008年 6月 21日

    もう、国語理解(IQ)の問題のような気がするので、私が書くのがKYなのかもしれませんが。
    私は、有能な女性にはただの天才とギリギリのジャイアン女性などがいると思っています。
    私は行っていませんが、国公立大学へ行かれた方は、目にしているのではないでしょうか。余裕で合格し、勉学もプライベートも優雅に楽しむ人と、血の滲むような努力でギリギリで合格して、授業も試験も必死で付いていって青息吐息な人と。同じ一日24時間の中で出している差です。
    例えば、アメリカのライス長官に向かって私が「私だって働きながらピアノの練習もしたいの! でも出来ないの! 働いてたら普通は出来ないのだから貴女が出来るのは間違っている」と言っても、不毛です。(絶対言えませんが)
    m2さんは、合理的にASを補う力が非常に高い、視野が広い、それだけではないでしょうか。そして、ここでそのようなかたはm2さんだけではないと思います。
    スペクトラムとして、ギリギリのジャイアン女性が到達しないところへ行ってしまわれるから、「あなたは違う」「いや個人的な本当の実感だ」という、白黒論争になってしまったのでは?
    キャパが広いから「今更なこと」だって触れられるのではないでしょうか。どんなときでも頭の中の過去ログは次々引き出せる。自分の言葉に起こせる。私にはこのスピードは追いつけない。
    書いちゃいけませんか。過去の記憶は。私はこれからも気が向いたら書きますよ。
    ただ、先生の所には現在困っている人が足を運んで受診してきます。先生がデータを取るのはそういう逼迫している人から優先に取ることも当たり前なことです。白黒をこだわると切りが無くなり全部文に起こすと先生が寝られなくなりますから、先生の決めた優先順位は尊重しようと思います。私なりに努力します。

    • mmm(ジャイアン)
    • 2008年 6月 21日

    ぴよよさんの文章を読んで冷静さを取り戻しました。
    ありがとうございます。
    前回のコメントを書いたあとに自分の偉そうな書き込みに対して自己突っ込みしまくりで、PCの電源をつけているのも嫌になってしまいました。
    ぴよよさんの、
    >先生の決めた優先順位は尊重しようと思います。
    というのは、もっともですね。
    お忙しいなかこのような場所を設けてくださっていることへの感謝の気持ちでいっぱいです。
    なので、わたしも努力したいと思います。
    すぐに白黒つけようとしたり、自己中心的に問題提起したりしてしまう自分が嫌です。
    「自己評価を下げる」みたいな内容を書きながらぜんぜん実践できていないですし。。。恥ずかしいです。

    • パパイヤ
    • 2008年 6月 21日

    あるコメントが波紋を投げかけているようですが、1ジャイアンとしての意見。
    わたしにとってはまったく対岸の火事としか思えないです。(いや、、このブログが何事もなく運営されることを心から願ってます)
    AS元夫と別れてから何年もたつし、ASの人たち(男性)とはお互い利害の一致する部分でご近所づきあい的にしか付き合わないことにしてるから(お互い全人格で対応しないといけないような、友人、恋人、家族として付き合うことはないから)自動的に、脳がスルーしてしまうのかなーと思ってます。
    ちなみに最近はコメントはほとんど読めてないんですが、AS男性たちのコメントは読みやすいし面白いので読んでます。ふーんそうなんだーという感じで、参考になる部分は取り入れて、腹立つとか反論するとかそういう次元にはいないです。
    AS被影響症候群が治ったのかしら。。。

    • むーん
    • 2008年 7月 06日

    全くKYな話で、申し訳ないのですが、アスペの彼に薦められ(と、ゆうより強制され)8ヶ月程行っていた、ミーティング(いわゆる自助グループ)。
    こんなところで悪口書いていいのか、分からないけど(もう書いてますね^^;)あれは、要するに独りでACを回復できない人間の共依存システムなんですね。一般社会で、共依存の自己回復が、自分で出来ないからあそこへ逃げ込む。で、「魂の家族だ」とかなんとか言って、ジャイアンに場での依存を強制して、「気付き」と称するいじめを行なう。いやー、あれほどいやな場所はありませんでした。(行っている方いたらごめんなさい、ですむかの書き方ですが。)
    大体、非言語的表現を不得意とする、とゆうより出来ない人間に、「分かち合い」と称する、内心の吐露の告白大会を強制する方が無茶なんですよ~。これについては、AS彼にしつこく恨み持ってます。おまけに、ジャイアンの得意とする突込み(クロストークとゆう)が厳禁。
    今はもう大嫌い(とゆうより苦痛)なので行っていませんが、ああいう多数派のオアシスって、ジャイアンには意味無いなと悟った今日この頃です。

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