AC、人格障害関連

「インストール」のコツ

 ジャイアンは突然気分や考え方をリセットするような現象が時々あり、私はこれをインストールと呼ぶ。振り返ってみれば私も中学時代などに経験したように思う。

 この「インストール」は、「新しいスタイルが役に立つから」「自分に都合がいいから」という原理で起こると私は想像している。

たとえば兄の合理的なやり方が母親に有効と見えればその真似をする。父親の強引なやり方に母親が従えばそのまま真似る。いずれにしても「大事な人に思い通りになってもらうために有効な」スタイルという条件だ。

 ジャイアンの認知と行動の基本パターンは、「ずる賢い子供」のイメージで、そのずる賢さから、都合の良いパターンを上に付け加えて成長する。私はこういうプロセスを想像している。

 身近に合理的な人がいて合理的な行動が認められる環境で育てば合理的なパターンを都合がいいから身につける。ゴネて通す暴君がいてそれが通っていれば暴君を真似る。被害的な態度をとってそれが都合がいいと見るやそういうパターンを採用する。安直な宗教が表面的に自分を肯定してくれればそれに飛びつく。

 だからジャイアンを治すためには、「合理的で真面目に自分で努力するパターン」が、本人にとって有利になるようなモデルを一方で提示しておいて、「現在のスタイルが行き詰まった状況」を作れば良いということになる。

 幼児期、小児期の早い時期のジャイアンならば、家庭内の力関係などの環境を鋭敏に察知するので、周囲の大人や兄姉、学校の先生などが本人にインストールされてもいいような問題のない行動をしていることが一番大事だ。

 本人にどうこうしろと言っても、結局力で押さえるパターンであれば、本人が強くなれば逆に力で押さえにかかるだろう。小さいころに力で押さえて言うことを聞かせることはできても、思春期になって家庭内暴力になったり、大人になってDVになったりする。

 私は無口だが黙って努力して行動で示すスタイルの父親のおかげで、病的にはなったが、深刻な行動障害にはならなかったのだろう。  


関連記事

  1. 依存型ジャイアンの回復
  2. あるメール相談へのお返事111204
  3. 不適応と合理的思考①
  4. 「言ってやってもらっても」
  5. 何を「はっきり言う」か
  6. ASの告知
  7. 思春期本人への告知
  8. ジャイアンの成育②環境による最初の分岐点 

コメント

    • パパイヤ
    • 2007年 6月 03日

    都合がいいから、ですかぁ・・。
    じゃあジャイアンからモラハラの被害にあっても、首尾一貫して無視したり毅然としたりして、相手が言うことを聞かないと分かれば違う戦法に出るということかな?懐柔してきたりとか。そういえばジャイアンがモラハラする相手って反撃してこなさそうな人かも。偉い人や手ごわそうな人が相手だと、おだてたりしてる。
    まずジャイアン本人が困らないと変えようがないんですね。
    自分を変えるヒントにもなります。

    • wish
    • 2007年 6月 03日

    自分自身を客観視できていない可能性を考えると、自分の事を語るのは躊躇してしまうが、他者である自己正当化型ADHD(風)息子については語る事ができる。
    私的には『ドラえもん』に登場するジャイアンには ズル賢さを感じない。状況理解が乏しいタイプの暴君な自己中というイメージで、ズル賢さを感じるのはスネ夫。
    以前のエントリにも【自己正当化型ADHD】のキーワードに『ズル賢い』が有り、息子には当てはまらないが、それ以外に2.3当てはまるヵ所があったので、とりあえず【自己正当化型ADHD】と位置付けている。
    息子は幼少期から現在に至るまで、ズル賢さを感じない。逆に それが無い為、馬鹿を見るタイプでもあった様に思う。(…かと言って、ズル賢さを望んではいなかった。)
    小中学生の頃に交流のあった父兄から「○○(息子)は悪さは人一倍するけど、素直だから可愛い。悪さをしてもズル賢しこく逃れる子の方が 質が悪いと思う」と 言われた事もある。
    ズル賢さの無い【自己正当化型ADHD】も有りなのだろうか?

    • wish
    • 2007年 6月 12日

    これまで このブログに書き込んだ内容や、通院先の主治医に対して『嘘』は無かったが、自分に都合良く『書いてない』『言ってない』部分がある事に気付いた。
    十代からの破天荒な生き方も、ある意味 賢く生きて来た。と思っていたが、よくよく考えてみれば『ズル賢く生きて来た』という言葉に 置き換えられる。
    そして、これまでの生き方において既に『自業自得の独りぼっち』を経験し、合理的な認知に修正されたのではないかとも思える。
    私にはADHD的な『陽』の姿もあり、虚無感を抱く『陰』な姿もある。どちらも嘘偽りの無い私の姿。
    ADHD的な『陽』の姿を前面に出す事で『陰』の姿を隠しているのかもしれない。これも意図的にではないが、私の持っている『ズル賢さ』が そうさせているのだろう。
    抵抗を示し 認めたがらない【自己正当化型ADHD】よりも質の悪い自分に気付き、自己嫌悪に陥ってしまった。
    全ては 壮絶なACからの回復によって見えて来た自分なのだろうか…

    • mario
    • 2007年 6月 22日

    自己正当化型と思われる妻と離婚交渉の真っ最中です。いろいろと考えた上で、妻の主張を受け入れる形で離婚の話を進めています。実際には、そうした方が将来の関係改善の可能性が少しでもあるからと思った為ですが。
    が、ちょっと疑問も生じてて、ブログを読み返しています。
    妻の態度が一時期の猛反発から合理的な対応に変わったように見える事も離婚を受け入れるつもりになった理由ですが… なるほど、私に受け入れられるスタイルに変更しただけなのかも知れないのですね。
    ここに来て、やはり離婚を拒否した方が(困らせた方が)、本人のためにもなるのかも知れないと再び悩み始めています。加えて、子の生活環境を少しでも良く保つこと(軋轢が高いと子にしわ寄せが行く)、妻をちゃんと高く評価したいこと、一方で妻の恋人の存在。問題が複雑すぎて、自分の取るべき道が再び見えなくなっています。
    短期的には離婚によって、完全な自由を手に入れるのが妻にとって良い事でしょう。でも息子の幸せは?(妻が仕事に過集中しているのもあり、息子は少しばかり過酷な状況にあります…)。中長期的な妻の幸せは?妻はどんなスタイルを身に付けると結果として幸せなんだろう。その為に私には何が出来るのだろう…
    取るべき道が見えない中で、再び思考の袋小路に入っています。

    • m2
    • 2007年 6月 23日

    私は受動型AS、彼女(になってくれない)はジャイアン(元AC・トラブルメーカー)。
    まさに愛着状態で彼女のすべてが好き。
    ジャイアンは自分のことを正当化してくれる人が必要という典型例と思います。
    もともと仕事はできるが、人間関係はむちゃくちゃという評判だったが、私が強引に口説き続けたらあっという間に別人に化してしまった。
    今では「私の理想の女性」をインストールして、完璧なアネゴに大変身。
    私以外の全員にすごく優しくなれたし、自分の意見を素直に言えるようになって仕事も順調で幅をどんどん広げてる。
    プレゼンさせたら大迫力でこれぞジャイアンの本領発揮という感じ。
    昔は、いつでも怒れるようにスタンバイ、誰にも見られないように無表情・猫背・愚痴いいまくりの感じから、いつでも笑顔・笑い声。余裕の表情・行動、堂々とした姿勢。批判も聞き流せるだろう。(もっとも今の彼女を批判する人はあまりいないと思う)
    ジャイアンは治すというより、ふさわしい立場に立てるようにするしかないような気がします。
    ジャイアンは最強のリーダーになりうるというのが実感です。
    そのためには、自分が安定して正当化される環境と他人の弱さを理解するための強烈なAC体験とその理解が必要ではないかと考えています。
    ただ、私相手にはACが残っていて、私からの干渉から逃げるためにはどんな手段でも使います。私から見ると、論理がむちゃくちゃなんですが、周りにはあまりの迫力にだまされてしまう人が多いようです。
    彼女の必死さに私に迷惑をかけたくないっていう愛情を感じるのです。自分が変わることによって私の愛情にこたえようとしているようです。
    素直に好きといわれるより、こういう健気さに更にほれてしまいますね。

    • パパイヤ
    • 2007年 6月 24日

    marioさん
    まだレスをつけていいのか考えてしまいますが、書いてみます。レスはほしくなくてつぶやいてるだけならレスしませんので言ってくださいね。
    離婚する相手に対して、本人のためになるとかならないとか考えること自体、意味が分からないです。離婚する相手なんかどこで野垂れ死にしてようが構わないと思ってしまいます。もし子供を養育できない状態になれば自分がすればいいだけですし。親が未成年の子供に対してなら本人のためにならないと考えるのも分かりますが。
    後、仕事に過集中で子供に悪影響とのことですが、そしたらパート程度で生活できる程度の養育費を払うか、裁判で自分の方が養育者として適切だと主張するかすればいいと思いますが。それができないなら、仕事への過集中も現実的な選択肢の中でベストだと諦めるしかないと思います。
    というのが私の率直な感想なんですが、ASの愛着もあるし、離婚される側としては、感情的にはそうすっぱり行かないんですかね。

    • mario
    • 2007年 6月 24日

    パパイヤさん
    ありがとう。おっしゃる事も良く理解できます。私のはASの愛着でもあるし、妻への態度が夫から親の方へズレている(可愛い小鳥ちゃん扱いしている)んだろうとも思います。子には両親がそろって必要だとも思ってしまいます。更に、この期に及んで、未だ妻の事を大切に思ってます。そう言う意味では、私は未だ離婚を承諾してはいけない状態です。
    子育てについても沢山の選択肢を、それこそAS的にとことん検討した結果、今の現実的な選択肢を私は取ってます。妻には自分の思う通りに仕事と育児をしてもらう。私は、妻の希望に出来るだけ応えて子供をみる(結果として息子は週平均2~3日ほどは私の元に居ります)。
    パパイヤさんの割り切り(=ADHDの感覚?)は今では頭では分かりますが、やはり自分の感覚とは大きく違います。妻も割り切って離婚の話を進めているので、付いて行けない部分が大きいです。
    離婚を決断した相手を再評価する可能性ってあるもんでしょうか?いや、可能性だけなら何処にでもあるでしょうが、どうすれば(ADHDに対しては?)一番可能性が高いのでしょうか?私は今でも(これまでとは違う形でも良いので)夫婦の形だけは維持したいと思ってしまいます。
    相手が多数派であれば、離婚を認めずに気持ちを伝える努力を続ければ、関係が改善する可能性も高いようにも感じているのですが… ASの束縛にADHDが耐えられなかったのが原因である私たちの場合、離婚を認めない=束縛 となってしまうので難しいです。

    • パパイヤ
    • 2007年 6月 30日

    片方が離婚したくないなら離婚できないんじゃなかったでしたっけ。法律的に。しかも週2,3回子供預かってるなら実質結婚生活が維持されてると判断されてもおかしくないと思います。
    相手から、離婚してくれないのは束縛だ!と責められて、自分が悪いのかなーと思って苦しくなって悩まれてるんでしょうか・・・。
    離婚したくないならつっぱねればいいんじゃないですかーと思ってしまいます。また、形式的に離婚しても実質しょっちゅう会っているなら別にそれでもいいんじゃないかとも。
    奥様もmarioさんを頼りにするところはして、でも離婚したいとは、う~ん、そういう方法もあるんですねえ(ちょっとうらやましい)。ほれた弱みなんですかねぇ。悩まれてるのかもしれませんが、結構仲よさそうにも思えて、ほほえましく見えてしまいます。
    でも、元の家族に戻れないかと言うことですよね?私の場合なら・・男らしくて頼りになる(別人のように)そしてマイナスオーラを出さず、周りを嫌な気分にさせないなら考え直すかもしれないです。一緒にいて「自分は価値がない人間だ」という思考に取り付かれて袋小路に入ってしまったのが一番嫌でした。でもASらしさをなくしてまでそうする必要があるのかどうかは分からないです。

    • mario
    • 2007年 6月 30日

    仲は悪くないと思うんですよ。会えば普通に話してます(離婚の話を進めるための仮面かも知れないと言う不安は常にありますが)。手伝い(家具の固定とか、TVの配線とか)も時々してます。頼りにされてるのか、都合の良い男なのか…(先生によると、それはそれ、これはこれ、のADHD的認知の結果だろうと)
    マイナスオーラを出さない…大切ですよね。そう注意しています。と言うより、完全にプラス評価するように努力してます。ADHD部分もプラス面に注目するように。プラスを伝える努力も続けてます。AS的にはそれを伝えるのが一番難しい…大きな基本的なプラス(愛や感謝など)を上手く表現できずに日々の小さなマイナスだけをつい表現しちゃうんですよね、残念ながら。
    最初のコメント投稿からずっと考え続けてましたが、やっぱりパートナーから直面化やインストールを図るのは無理だし、間違ってると思いました。離婚するか否かは別にして、関係は今のままで様子をみるしかない。小さな事に振り回されない大きな男になる決意だけはしてます、実際は難しいですけどね。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP