「子供の本」 原稿2 「モモ」 ミヒャエル エンデ作 

 

 世は「カウンセリング」ブームである。テレビドラマの影響か、カウンセラー志望の若者も多い。

 「モモ」は不思議な少女である。施設から逃げ出した浮浪児で、年齢不詳、それでいてみんなの役に立つ。モモと話すとみんな率直になり、妙案が浮かび、迷いが消え、けんかも仲直りする。

 「モモ」の前ではなぜみんな素直になれるのか? 本の中では、「大きな目で見つめながら待つ」とある。字もやっと読めるだけの子供に、高度のカウンセリングと言える芸当が可能なのはなぜか?

 たとえば「男はつらいよ」の寅さんや、放浪の画家山下清も、「モモ」と同じように出会う人が心の問題を解決するのに大きな役割を果たす。これらは、「トリックスター」と呼ばれ、自身はその場と関係を持たず、何にでもなれるトランプのジョーカーのような存在である。その場の利害や社会的な関係がないから「百パーセント相手のために、今この瞬間のために」ふんだんに時間を使える。

 「モモ」の対極として風刺的に描かれているのが、「灰色の男たち」で、自分の人生に不安を抱く大人たちに「時間貯蓄」をすすめ、子供たちを施設に収容して「役に立つ」遊びを強制する。「節約」を考え始めたとたん、人生の時間の価値が薄れ、楽しみがなくなる。「モモ」は、この灰色の男たちに奪われた人間の時間を文字通りに「取り返す」のだが、この展開と冒頭に描かれている「傾聴することで相手が自分自身を取り戻す」ことは実は本質的に同じことだ。

 心の問題に苦しむ思春期の子供たちは、まず相手の評価を極端に気にする。条件付きの愛情を獲得するため「いい子」を演じるのに疲れ果てながら、見捨てられるのが怖くて本当のことはなかなか言えない。「モモ」の傾聴は、評価を予定していない。「ひたすら聞いてあなたを理解しようと努力してみるから」という態度が通じてやっと語り始める。じっと見つめ、「あなたのことを知りたい」「あなたに関心がある」ことを示すことは、「あなたは今のままのあなたでいていいんだよ。無理をしなくても、いい子を演じなくても」と相手の存在自体を肯定し受け止め、見捨てられ不安の本体を治す。「あなたは生きていてもいい。生きていてほしい」という積極的なメッセージだ。

 「ゆとりの教育を目指して土曜を休みにしたら、かえってゆとりがなくなった」という。「灰色の男」は身近にもたくさんいるようだ。