東京新聞「子供の本」書評 佐野洋子作 「百万回生きた猫」 (平成15年5月)

 最近の若者たちは、簡単に死んでしまう。ネットで道ずれを見つけるとすぐに数人まとめて死んでいく。「リストカッター」と呼ばれ、自分を傷つけ続ける若者も多い。

 佐野洋子作、画の絵本「百万回生きた猫」を最初に開いて、「ギョッ」とさせられるのが冒頭の絵の猫の顔だ。精神科医として、同じような目つきに私はよく遭遇する。

 「ねこ」はある時は「王さまの」、またある時は「サーカスの」、またある時は「おばあさんの」猫として百万回生き返る。死ぬたびに飼い主はみんな泣くが、絵の中の「ねこ」はいつも飼い主を見ていない。女の子に抱かれて、体をだらんとしながら、あの無表情な同じ目つきで読んでいる我々の方を見ているかのようだ。

 「ねこ」はその後、「自分の」猫となり、野良猫として生きる。「おれは100万回も 死んだんだぜ。いまさらおっかしくて」と他の猫も相手にしない。たくさんのメス猫に囲まれながらつまらなそうにあくびをしている。

 愛する相手「白いねこ」と出会い、多くの子ねこを得て、「ねこ」は「おれは、百万回も・・・」と言わなくなり、伴侶の死を経てやっと「ねこ」は生き返り続けるのをやめる。

 リストカットや自殺をテーマに掲げた掲示板の中で、若者たちは「どうして生きていなければいけないの」と問いかけ続けている。病的ではもちろんない、ごく普通の、まじめなむしろ優等生の中学生、高校生たちだ。「精神科受診をするために世間体ばかり考える親にどうやってわかってもらうか」がしょっちゅう話題になる。親たちが見たら腰を抜かすだろう。 

 「ネットの悪影響だ。」と責任転嫁をするのは簡単だ。しかしリストバンドの下には、自分を痛めつけなければ居られない彼らの思いがかみそりやカッターナイフで確かに刻み付けられている。多くは「血を見るとほっとする」という。

 条件付きの愛情を獲得し続けるために優等生を演じ続ける「親のペット」としての人生を終わりにしたい。「かまってほしい」とは根本的に違う、「自分がどれだけ苦しんでいるか思い知れ」というメッセージが自傷行為の意味だ。

 私がよく目にするあの表情は、虐待された子供たちに特に多い。百万回自分を殺し続ける姿が、「ねこ」に重なって見える。(治すための方法については次回で。)